CULTURE

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少年サッカーにかかる「お金」と「時間」

相場は年間4万円台

「子どもをクラブに通わせるのに、イタリアでは年間どれくらいかかりますか?」


サッカー少年少女を育てる日本の親御さんから、よく聞かれる質問です。イタリアの街クラブでは、12歳までお金がかかります。これはお金を払ってサッカーを教えてもらうという考え方。13歳以上になると年会費は無料になります。これは選手の保有権をクラブが持つことになるからです。ちなみに、プロフェッショナルのクラブ傘下の育成組織では費用は一切かかりません。


さて、12歳までの選手が支払う年会費の相場は300から350ユーロ(約4万円から4.6万円)。つまり1ヶ月3500円程度。250ユーロ(3.3万円)のクラブも少なくありません。これだけ払えば、誰もが毎週2回以上の練習と年間最低30試合のリーグ戦、さらにはリーグ戦終了後の各種大会に参加することができます。もちろん保険代、登録料、ユニフォーム代も年会費に含まれます。


「1か月3000円? それは安いですね」


日本の親御さんからは、たいていそのような反応が返ってきます。イタリアの少年サッカーはリーズナブルです。サッカーは大衆のもの。貧富の差にかかわらず、誰にでも開かれています。なお、すべての街クラブが各自グラウンドを所有しています。


日本では、平日限定のスクールだけで1か月に1万円以上を支払っている家庭も少なくないようです。ちなみに、日本サッカー協会の公式サイトによると、私の地元・熊本で中学1年生から3年生を対象に活動するJFAアカデミー熊本宇城では、一次・二次・最終選考試験の受験料の合計2万7000円に加えて、年間96万円の活動費が必要になるそうです。さらに初年度は入学手続金15万円が別途かかるので、合計すると113万7000円。正直、目の玉が飛び出すような金額です。


子どものサッカーにかかる費用で、バカにならないのがスパイク代。昨季、うちの息子は3足履き潰しました。子どもの足が日に日に大きくなっていくのは嬉しいことですが、3足もスパイクを買い替えるのはかなりの負担ですよね。ところが、イタリアでは子どものスパイク代はほとんどかかりません。というのもクラブの倉庫には、年長さんたちが履けなくなった、そこそこ新しいスパイクがたくさん保管されているからです。その中から自分に合ったものを探して履けばいいだけのこと。ちょっと匂いがあっても、そこはイタリア人。まったく気にしません。



国際経験」は本当に必要?

サッカーにかかる費用で、ちょっと気になるのが国外遠征の費用です。日本の少年サッカークラブの中には、毎年ヨーロッパや南米への遠征を行うところもあるようで、親御さんが工面している旅費の高さには驚かされます。島国である日本では、いつの時代も“国際経験”の重要性が叫ばれます。しかし、イタリアには国外遠征をするような街クラブは皆無です。そもそも国外遠征をするための経済的な余裕などありませんし、田舎町での夏のプレシーズン合宿でこと足りるからです。


イタリアに限らずヨーロッパでは、プロクラブはもちろん無名の街クラブでも、期間限定で外国からの子どもをチーム単位、あるいは個人単位(サッカー留学生)で受け入れているところがあります。これは財政的に厳しい多くのクラブにとって、貴重な収入源となります。ただ、運営サイドはともかく、現場が外国からの“お客さん”を歓迎しているかどうかはわかりません。チームは毎週末の試合に向けた準備に忙しく、“接客”をしている暇はないからです。選手が増えれば当然、練習効率も落ちてしまいます。


子どもたちの“経済格差”も少なからず気になります。日本人も含めてヨーロッパにやってくる子どもらは当然裕福で、当たり前のように高価な最新モデルのスパイクを履いています。それを現地の子どもたちが羨ましそうに見つめている……。それはちょっと胸が痛む光景です。日本の皆さんには、そんな現実があることも知っておいてほしいと思います。


“お父さんコーチ”の出番がない

日本の友人・知人らによると、日本の親御さんたちはとても熱心に子どものチームの手伝いをしているそうです。送迎の車を出したり、ドリンクを作ったり、ときには練習相手になったり。仕事や家事が忙しくて手伝えない親御さんが、申し訳ない思いをするとも聞きました。そんな日本の少年サッカーの事情を聞くたびに、私は驚いてしまいます。というのも、イタリアでは親がチームの練習を手伝うことは一切ないからです。



子どもたちが通うクラブには、小さな街クラブでもUEFA(欧州サッカー連盟)公認のライセンスを持つ指導者がいて、医療体制も整っています。その道の専門家がいるのだから、素人の出る幕はありません。だからこそ父親たちは週末の試合に大挙して集い、大好物のビールをがぶ飲みしながらワイワイ楽しくやっている。そこはただただ純粋に“楽しむ場”であると、誰もが知っているからです。