サッカーに限らず様々な部活動において、指導者による暴力、あるいは部員間における暴力が度々問題となっています。加えて、地元TV局が伝えるところによると、監督もまた長きに渡り子どもらに暴力をふるってきたといいます。同時に、部員間での暴力もまた報じられています。
決して無くならない部活の現場の暴力。なぜ彼ら指導者はサッカーを教えるのに暴力を必要とするのでしょうか。イタリアの現場を垣間見ることで、その「なぜ」を問いたいと思います。
魅力的なイタリアの指導者たち
これまで私の息子(=18)がサッカーを教わってきた指導者は、誰もが人間的な魅力にあふれる人物でした。
息子が出会った指導者の一人に、フィレンツェの街クラブ《オリンピア》のアンジェロ・カステッラーニという人物がいます。街クラブの育成の大家として敬意を集めるアンジェロは 1956 年、サルデーニャ島に生まれました。彼は路地でサッカーしているところをスカウトに見出され、12歳でジェノアに入団します。右ウイングとして将来を嘱望されたアンジェロは、しかしケガにより25歳で引退。フィレンツェの新聞社の印刷部門で夜間に働きながら、昼間は下部リーグでプレーを続け、街クラブでサッカーを教えるようになりました。
指導者としてのキャリアは36年、教えた子どもは1万人を超えます。その手腕が評判になり、国内有数のクラブからもオファーが届きました。しかし彼は、街クラブでの指導に生涯を捧げようと決意。2000年からオリンピアのサッカースクール最高責任者を務めています。
勝敗よりも大切なもの
私の息子は一時期、オリンピアに通い、アンジェロの指導を受けていたのですが、「器の大きな人物だな」と感心させられることが何度もありました。
忘れられない出来事があります。アンジェロが教えていたチームの一つに、軽くはない障害を持つ子どもが二人いました。勝利を優先するならば、二人を極力出さないようにするでしょう。ところが彼は、他のチームメイトと一切分け隔てすることなく二人に出場機会を与え続けました。対戦相手の監督から「一人多く出しても構わないよ」と提案されても、絶対に聞き入れませんでした。監督のこの決断が、二人の子どもをどれだけ勇気づけたことか。
この判断についてアンジェロに尋ねたところ、彼はこんなふうに答えました。「存分にサッカーをしたいという、子どもの気持ちを拒む理由はどこにもありません。私たちのような小さな街クラブがそれを拒んだら、彼らはどこでサッカーをすればいいのでしょう。私は当然のことをしただけです。もちろんチームメイトにとって、彼らとプレーすることは簡単ではありません。でも、だからこそ子どもたちは自分に何ができるかを一生懸命考えてくれました。二人もチームに貢献するために努力を重ねてくれました。私はそんな彼らを後ろから支えたにすぎません」
この言葉を聞き、私は素直に感動しました。このようにイタリアの子どもたちは、 サッカーを楽しみながら自然と人生を学んでいくのです。
“教える”ではなく一緒に“遊ぶ”
アンジェロとは少年サッカーの指導について語り合ったこともありました。彼の教えは実にシンプルです。「大切なのはボールを蹴り続けること。無心でボールを追い続ける子どもたちを、私たち指導者が温かく支えていくこと。指導者が心を込めて、最も大切なことを子ども たちに伝えていくことでしょう」
アンジェロがもっとも大切だと考えること。それは思い切り〝遊ぶ〞ということです。 彼は週に2度の練習を、練習ではなく遊びだと考えています。「『グラウンドに来るのが楽しみで仕方ない』『仲間たちとボールを蹴る時間が永遠に終わってほしくない』。子どもたちがそんなふうに思えなければ、その練習は何百時間やっても意味がありません。パイロンを並べてのジグザグドリブル、ゴール前の監督にパスを当て、リターンを受けてフリーで打つシュート……。こういうものを繰り返しても、試合で役に立つ技術を身につけることはできないのです」
では、何をやれば上手くなるのでしょうか。 「ゲームです。ゲームには敵のプレッシャーがつきものです。プレッシャーの中でボールを扱うからこそ、トラップやフェイント、ドリブル、パスの技術を身につけられる。走りの中でスピードに変化をつけることも、ジャンプや方向転換もそうです。 ボールタッチだけでなく、身体の使い方も学べます。もちろん、守備に穴を開けないためのポジショニングや点を取るためのポジショニングも。すべてはゲームで身につけられる。ゲームこそが最高の練習なのです」
自動車の普及や都市化の進行によって、かつていたるところで見られたストリートサッカーは、姿を消しつつあります。これはイタリアに限らない世界的な傾向です。
イタリアでは近年、たくさんの子どもたちがクラブに通ってサッカーをしています。ストリートで自由に遊べなくなった今、クラブの指導者は子どもたちを遊ばせてあげるという社会的な役割も担っています。 大切なのは、サッカーを〝学ぶ〞ではなく〝遊ぶ〞ということ。大人には、サッカーを〝教える〞ではなく、子どもと一緒に〝遊ぶ〞という意識の変革が求められています。