CULTURE

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『ナポリの繋がり社会、−家族、近隣、移民、黄泉の死者と共に生きる−』後編

こちらの記事は前後編に分かれています。
前編を読む

喜んでもらえることが喜び

ナポリには「カフェ・ソスペーゾ」という慈善行為があります。これは、経済的に苦しい人にもコーヒーぐらいはバールで飲めるようにと、コーヒーを2杯分支払う古い習慣のことです。苦しい時代は去ったため、現在では滅多にみかけなくなりましたが、ナポリ市民の精神の根本には、「誰1人おいていかない」という道徳的な連帯精神で溢れています。

サニタ地区のメインストリートでコーヒーを飲む住民サニタ地区のメインストリートでコーヒーを飲む住民

2020年3月には、新型コロナウイルスの影響で真っ先に打撃を受けたのは、サニタ地区のような低所得者層の人たちでした。たったの2週間で、買い物にいけなくなる人、1日1食になる人が増え、教会の運営する無償の食事提供の時間には、かつてない数の人が並びはじめました。それから数日もしないうちに、市内のNPO団体、キリスト教団体、ボランティアなどが「スペーゼ・ソスペーゾ」(食料品の寄付行為)を実行して、経済的に困難な家庭に食材を配ったのです。
筆者の私も「スペーゼ・ソスペーゾ」をしました。息子のクラスメートの両親が提案して、同じ学校の経済的に厳しい家庭に食料品が届けられました。
慈善行為、連帯などといった大きなスローガンよりも、ただ単純に困っている相手が喜んでもらえることが、お互いにとって幸せだというだけ。そのためなら少しの時間やお金を犠牲にしても惜しくありません。もっと大きな価値や精神的な充足感を得られるのですから。

「ワイン・ソスペーゾ」もできるエノテカを経営する若手主人「ワイン・ソスペーゾ」もできるエノテカを経営する若手主人

昼は地元の男性、午後からはアペリティフを楽しむ観光客が多いテーブル席昼は地元の男性、午後からはアペリティフを楽しむ観光客が多いテーブル席

受け取る人の尊厳を考慮して、低品質な食材を購入しないように気をつかった「スペーゼ・ソスペーゾ」受け取る人の尊厳を考慮して、低品質な食材を購入しないように気をつかった「スペーゼ・ソスペーゾ」

第六感を信じる人たち

ナポリでは、故人もコミュニティに生き続けます。ナポリ旧市街を歩いたことがある人なら、いたるところに小さな祠があるのに気がついた人もいると思います。その祠に設置されたマリア像や聖人の足元に、亡くなった住民の顔写真が何枚も貼りつけられています。夕方になると、暖色系の灯りに照らされた故人たちの顔写真が路地に浮かびあがるのです。
祠を管理するのは、隣か正面に住む地上階の住人。定期的に祠の掃除をしたり、照明用の電球を替えたりします。電気代は誰が負担するかなど、細かい規則は特に必要ありません。
残された家族は、祠の前で近所の人たちと立ち話をして、家族を失った悲しみや苦しみを吐きだす。私的で内的な感情を屋外で表現し、黄泉の国の故人を悼む様子を目の当たりにしました。ナポリは、近代的な合理主義や発展の法則では説明のできない町、別の価値観からくる身体的体験を重視する町なのだと、再確認したのです。

夕方になり、電気が灯る路地に設置された祠夕方になり、電気が灯る路地に設置された祠

お金がなくても、小さな壁の穴でも祠に変身お金がなくても、小さな壁の穴でも祠に変身

現代の私たちは、いつのまにか他者のために時間や気持ちを割くことができなくなってしまいました。都市化や工業発展と引き替えに失ったものの代償は大きいのかもしれません。
そして今年に入って、グローバル化によって広がったパンデミック。多くの犠牲者を出したイタリアでは、愛する家族を失った人、経済的に突然困窮する人、社会的排除を受ける人たちが爆発的に増加していくなか、これまでの都市のあり方や価値観が一気に覆されました。人とは物理的な距離を置かねばならなくなり、その一方で精神的な繋がりはどのように保っていったらよいのか。サニタ地の人たちの住まい方は、私たちに何か示唆を与えてくれそうです。可能なかぎり、これからもこの地区の人たちの生き方を追っていきたいと思っています。

ナポリのビュースポットでナポリ湾を撮影する「家族」と日本語で刺青を入れた若者首に日本語で「家族」と刺青を入れている若者

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