CULTURE 25 Dec 2020

北から南、イタリア合理主義建築の旅


シンプルな箱型建造物

高度な都市文化が発達した地域では、建物は時代ごとに異なった様式が流行してきました。イタリアは、ルネッサンス様式やバロック様式など、様々な建築様式が花開いた国。
このイタリアに、「合理主義建築」と呼ばれる建築スタイルがあります。イタリア各都市の新市街によくみられ、装飾や曲線のほとんどない建物に、建築に興味のない人でも気がつくのではないでしょうか。合理主義建造物のほとんどは、郵便局や市庁舎、国立博物館などの公共建造物ですが、集合住宅や別荘などもつくられました。

ナポリ中央郵便局(右) とナポリ州政府舎(左)ナポリ中央郵便局(右) とナポリ州政府舎(左)を含む合理主義建築エリア

モーロ・べヴェレッロ港(ナポリ)1936年に完成したべヴェレッロ港(ナポリ)はそのまま残し、(写真には写っていないが)西側部分に新たな水中翼船発着所を完成させたのはポルトガル人建築家アルヴァロ・シザ

「合理主義建築」とは?

「合理主義建築」が誕生するのは20世紀はじめ、産業革命によって経済的・社会的な価値観が覆された時代。フランスの建築家ル・コルビュジェの影響を受け、イタリアでもこれまでの意匠的・職人的な建造物は古いものとして否定されました。工場で生産される新しい建築資材を使って、これまで実現が難しかった建築構造や表現が重視されました。世界中でモダニズム建築運動が試みられていた大きな流れのなかの一つが「合理主義建築」。
イタリアから発せられた、時代を象徴する建築スタイルでした。決まった原理や規則、理性や論理によって世界を把握しようとした、価値観の革命です。当時の若いイタリア人建築家、ジュゼッペ・テラーニやアダルベルト・リベラは、ムッソリーニのファシズム政権下で、次々と公共事業を実現させていきました。

アダルベルト・リベラ設計によるクリスト・レ大聖堂(ラ・スペツィア)アダルベルト・リベラ設計によるクリスト・レ大聖堂(ラ・スペツィア)

クリスト・レ大聖堂内部(ラ・スペツィア)クリスト・レ大聖堂内部(ラ・スペツィア)

アダルベルト・リベラ設計によるEUR会議場(ローマ)ローマEUR地区に聳える「イタリア文明館」(1939年)。別名「四角いコロッセオ」と呼ばれ、現在はFENDIの本社ビル。

ジュゼッペ・テラーニと「グルッポ7」

筆者の私が1998年にイタリアへ留学した際、合理主義建築運動を研究テーマにしてミラノ工科大学へ留学した仲間がいました。彼女の案内で、コモ湖にあるジュゼッペ・テラーニの代表的建造物、カーザ・デル・ファッショを訪問した時、「これが同じイタリアで、同じ年代の建物?」というのが、私の口から最初に出た言葉でした。
テラーニは、ミラノ工科大学出身の若い建築家7人でグループ(グルッポ7)をつくり、合理主義の理論と具体的な建築図面で世界に向けて宣言しました。

39歳の若さで亡くなったジュゼッペ・テラーニ39歳の若さで亡くなったジュゼッペ・テラーニ

コモ湖に残るカーサ・デル・ファッショ(1932〜1936年)コモ湖に残るカーサ・デル・ファッショ(1932〜1936年)

当時29歳のテラーニも創刊に関わった建築雑誌『クアドランテ(Quandrante)』当時29歳のテラーニも創刊に関わった建築雑誌『クアドランテ(Quandrante)』

南イタリアの合理主義建築

私が留学当時通っていたナポリ大学工学部の校舎は、地元ナポリの建築家によって設計された合理主義建築スタイルでした。ナポリ大学でお世話になったイタリア人の恩師は、「南イタリアの合理主義建築は北イタリアとはデザインが違う。南では、デカルトの近代合理主義に基づくような理性や論理で説明できない経験を重視するから、建築のファサードだって規則的ではないのだよ。」と教えてくれました。この先生が、ムッソリーニ政権下のナポリで少年時代を過ごし、ご両親も戦争に関連して殺されてしまったという噂を聞いていたので、先生の言葉はより現実味を帯びて心に残りました。

私のナポリの恩師の恩師であるルイージ・コセンツァ設計のナポリ大学工学部校舎(1955-1980年)私のナポリの恩師の恩師であるルイージ・コセンツァ設計のナポリ大学工学部校舎(1955-1980年)

何度も改築が行われてきたナポリ大学工学部平面図(地上階、1階)と北側断面図

レッジョ・カラーブリア国立考古学博物館設計(1932〜1941年)は、ローマ出身のマルチェッロ・ピアチェンティーニ。テラーニやリベラの合理主義にネオクラシックを融合させる表現を好んだ。レッジョ・カラーブリア国立考古学博物館設計(1932〜1941年)は、ローマ出身のマルチェッロ・ピアチェンティーニ。テラーニやリベラの合理主義にネオクラシックを融合させる表現を好んだ。

設計変更されたマラパルテ邸

ナポリ近郊のカプリ島の小さな岬の上に、作家マラパルテのためにつくられた別荘があります。設計したのは、先述したアダルベルトリベラ。ジャン=リュック・ゴダール監督によるブリジット・バルドーの「軽蔑」という映画の舞台となった別荘としても知られています。
この建物の設計はアダルベルトリベラだと長年信じられてきていましたが、最近の研究によると、過去の記憶を呼び起こすようなデザインの変更がマラパルテ自身によってされていたといいます。このエピソードは、私のナポリ大学の教授の言った言葉そのもの。南イタリアの風土では、機能や合理性よりも、建物を使う人の経験や記憶が重要視されるということなのです。

マラパルテ邸(カプリ島)マラパルテ邸(カプリ島)

マラパルテ邸入口(カプリ島)散歩道からみたマラパルテ邸(カプリ島)

ブルガリホテルに生まれ変わる合理主義建築

ローマにある合理主義建造物がリノベーションされ、2022年にブルガリの高級ホテルへと生まれ変わります。1936年から1938年にかけて建設されており、地元ローマの茶色のレンガ、ベージュのトラバーチンを組み合わせたファサードは、機能主義の中にも温かみがあり、ホテルとして利用されても違和感がありません。首都ローマの合理主義建築物の中に泊まれるとなれば、ブルガリファンだけでなく、世界中の歴史・建築愛好家が泊まりたいと思うはず。
高級ブランドメーカーが、廃墟の村をホテルにしたり、古い建造物をリノベーションすることが流行しています。近代建築を取り壊さず、行政や民間の努力によって新たな価値を生み出そうという姿勢、日本でも見習いたいものです。

合理主義建築をリノベーションする「ブルガリ・ホテル・ローマ」(ブルガリHPより)合理主義建築をリノベーションする「ブルガリ・ホテル・ローマ」(ブルガリHPより)

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WRITER PROFILE
中橋 恵 Nakahashi Megumi
中橋 恵 Nakahashi Megumi

1973年岐阜県生れ。ロータリー財団、イタリア政府奨学金生としてナポリ大学工学部に留学の後、法政大学大学院工学研究科修士課程修了、ナポリ大学建築学部博士課程単位取得退学。地域再生に関するコーディネート、調査・執筆を行う。共著に『イタリアの小さな村へーアルベルゴ・ディフーゾのおもてなしー』、『世界の地方創生―辺境のスタートアップたちー』、『CREATIVE LOCAL エリアリノベーション海外編』など。https://www.meguminakahashi.com/  https://www.instagram.com/creso.me/