CULTURE

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イタリア最大の工業都市トリノに捧げられた歌特集!

ITALIANITYの1月~3月のテーマ「ピエモンテ州」に合わせて、州都であり、イタリア工業の中心地トリノに捧げられた楽曲をピックアップして紹介いたします。


プレイリスト収録曲詳細

1.「Torino(トリノ)」(1982)
Antonello Venditti(アントネッロ・ヴェンディッティ / ローマ出身)は、1970年代のデビュー以来、イタリアで観客動員数のトップ5であり続けるスーパースター。作詞も作曲も単独で行う本格的なシンガーソングライターで、国民的な人気を誇るアーティストであると同時にローマっ子の代表格的存在である彼が、トリノに捧げた異色作です。バックを務めるのはデビューしたばかりのバンドStadio(スターディオ)とRon(ロン)。どちらも後にサンレモ音楽祭優勝を果たすと共に、どちらももうひとりの国民的シンガーソングライターLucio Dalla(ルーチォ・ダッラ)の弟子的存在で、彼らがヴェンディッティとコラボしたのも話題となりました。


2.「Così sbagliato(コズィ・ズバリァート / 意:こうして間違えた)」(2018)
Le Vibrazioni(レ・ヴィブラツィオーニ / ミラノで結成) のサンレモ音楽祭2018出場曲。歌詞の中ででは特にトリノを歌っている訳ではありませんが、その公式MVはトリノにあるローマ時代の遺跡・パラティーナ門でシュートされているので、“トリノの歌”感を強く感じさせます。


パラティーナ門
パラティーナ門

3.「Siamo chi siamo(シァーモ・キ・シァーモ / 意:僕らは僕らである)」(2013)
観客動員数の欧州記録を持つ人気ロッカーLigabue(リガブエ / エミリア・ロマーニャ州出身)の楽曲で、最初のフレーズは“トリノ出身の女のコを知ってる”と始まります。収録されたアルバムのジャケットには、世界各地の写真が配されており、予感通り世界ツアーを敢行し、その一環で奇跡の来日公演も実現しました。


観客動員数全欧一! Ligabue(リガブエ)
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観客動員数全欧一! Ligabue(リガブエ)

よしおアントニオ / 2021.01.18


4.「Il cielo su Torino(イル・チェーロ・ス・トリノ / 意:トリノの上空)」(1999)
カルト的人気を誇るロックバンドSubsonica(スブソニカ / トリノで結成)の初期の楽曲。一聴して判るように、キーボードワークが光るバンドで、キーボード奏者のBoosta(ブースタ)は後に他のアーティストのプロデュースにも才能を発揮しています。彼らは意外にも2002年に第25回大阪国際見本市(インテックス)のイベントステージを務めるために来日を果たしています。


5.「Buonanotte Giorno(ブォナノッテ・ジョルノ / 意:おやすみ、昼間)」(2014)
トリノ出身のイケメンDJ、Gabry Ponte(ガブリィ・ポンテ)の、年間ヒットチャート7位に入る大ヒット曲となったポップな楽曲です。トリノのヴァレンティーノ公園や中世建築のテーマパークBorgo Medievale(ボルゴ・メディエヴァーレ / 意:中世の村)で公式MVがシュートされています。


ボルゴ・メディエヴァーレ中世の城
ボルゴ・メディエヴァーレ中世の城

6.「Perfetto uniformato(ペルフェット・ウニフォルマート / 意:完全に統一化されて)」 (2014)
ポップ・ロック・バンドでありながらレトロなサウンドが特徴のEugenio in Via Di Gioia(エウジェニオ・イン・ヴィア・ディ・ジョイア / トリノで結成)の楽曲で、2020年になってTV番組のテーマ曲に採用されました。トリノのカステッロ広場に於いてパジャマ姿で収録された公式MVが微笑ましいのがお勧めの理由です。


カステッロ広場
カステッロ広場

7.「Lo zingaro felice(ロ・ズィンガロ・フェリーチェ / 意:幸せのジプシー)」(2003)
プロ・ギタリストからシンガーソングライターに転身して成功したAlex Britti(アレックス・ブリッティ / ローマ出身) が、30代という人生の節目のひとつを歌った楽曲。今まで歩んできた道を進むか、別の人生のドアを叩くか否か?自由の象徴として“ジプシー”という表現を用いています。すべての人の心の中に幸せのジプシーがいて、毎朝目を覚ますはず、と歌っています。冒頭、スーツ姿で登場する(=今までの人生)アレックスですが、映像の中頃になってやっと写し出された下半身は自由を表現しているところが見どころ。ロケ地に使われたのはトリノのヴィットリオ広場や、ポー川の堤防Murazzi(ムラッツィ)も。


ポー川とムラッツィ堤防
ポー川とムラッツィ堤防

8.「Non pensavo(ノン・ペンサーヴォ / 意:僕は考えていなかった)」(2009)
ヴァッレ・ダオスタ州出身のバンドdARI(ダリ)が人気歌手Max Pezzali(マックス・ペッツァーリ)をゲストに迎えて発表した公式MVは、トリノ大学のヌォーヴォ宮&ヴィットリオ広場でシュートされています。


トリノ大学のヌォーヴォ宮の入り口
トリノ大学のヌォーヴォ宮の入り口

9.「San Salvario(サン・サルヴァリオ)」(2016)
ロックバンドZen Circus(ゼン・サーカス / トスカーナ州ピザで結成)の楽曲。“サン・サルヴァリオ”とは前出のヴァレンティーノ城&広場を内在するトリノ中心の歴史地区のひとつの名前です。


ヴァレンティーノ城
ヴァレンティーノ城

10.「Qui non c’è il mare(クイ・ノン・チェ・イル・マーレ / 意:ここには海がない)」(1991)
トリノで結成されたスカ・バンドStatuto(スタトゥート)の楽曲。バンド名はトリノの広場の名前から取られています。タイトル通り海なし都市を自虐的に皮肉った内容の歌詞です。


スタトゥート広場
スタトゥート広場

11.「Torino sulla luna(トリノ・スッラ・ルーナ / 意:月面上のトリノ)」(2013)
90年代のワールド・ミュージックの世界的な流行で台頭したMau Mau(マウ・マウ)のFabio Barovero(ファビオ・バロヴェロ / トリノ出身)が自作して歌う楽曲で、同名の映画の主題歌となりました。Mau Mauの名前は“渋谷系”のキーワードで世界中の音楽が賑わっていた日本にも届き、1994年に来日公演も果たしています。


12.「Passeggiando per il centro – Torino(パッセッジァンド・ペル・イル・チェントロ=トリノ / 意:中心街を歩きながら=トリノ)」(1954)
戦後のイタリア歌謡界を牽引した歴史的コーラスグループQuartetto Cetra(クァルテット・チェトラ)が歌ったトリノご当地ソング。当地に現存するローマ時代のアーチなどが描写されています。


13.「Ciau Turin(チャウ・トゥリン / 意:チャオ・トリノ)」(1949)
20世紀前半に活躍した作曲家&シンガーソングライターCarlo Prato(カルロ・プラート / トリノ出身)が書いたトリノ方言歌詞の楽曲で、今もトリノっ子たちに愛され続ける元祖ご当地ソングのひとつです。トリノの英語表記Turinの方が実は現地での街の呼び名のまま、という事実も驚きですね。