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イタリア最大の経済都市ミラノに捧げられた歌特集!

ITALIANITYロンバルディア特集KV

ITALIANITYの11月&12月のテーマ「ロンバルディア」に合わせて、州都であり、イタリア経済の中心地ミラノに捧げられた楽曲をピックアップして紹介いたします。

プレイリスト収録曲詳細

1. 「Il ragazzo della via Gluck(イル・ラガッツォ・デッラ・ヴィア・グルック / グルック通りの青年)」(1966)
Adriano Celentano(アドリァーノ・チェレンターノ / ミラノ出身)は、なんと1950年代末のデビューから現在まで、ずっと第一線のスターであり続ける、まさにイタリア音楽界の首領(ドン)。

タイトルは彼が生まれ育ったミラノ郊外グレコ地区に実在するストリート名。つまり自身の生い立ちを歌った楽曲です。その印象的なイントロが奏でられただけで、イタリアの老若男女は誰しもが大声で歌える楽曲のひとつです。それほどイタリア人たちのソウルを揺さぶる曲なのに、発表の場となったサンレモ音楽祭1966では上位入賞を取り逃がしたという黒歴史を持つのも面白いものです。

歌われているのは、大都市圏の郊外があっという間に開発されていった時代を見事に描き出し、子どもの頃に親しんだ風景が失われていく…という郷愁感を描くと同時に、現在に繋がる環境問題をも提示していた(当時は環境問題など後回しだった)ことが、人々の記憶から廃れない要因だと思います。

2. 「Milano good vibes(ミラノ・グッド・ヴァイブス)」(2018)
サンレモ音楽祭2019で優勝する前のMahmood(マームッド / ミラノ出身)のヒット曲。彼はエジプト人父とイタリア人母の間に生まれたハーフですが、本人は単にミラネーゼという自覚しかないそうです。

そんなミラノっ子の視点で我が街を称賛したのがこの曲で、ミラノという街は心地よく、キューバのビーチにいるみたい、と歌っています。彼は日本由来の言葉を度々歌詞の中に取り入れており、この楽曲でも“コン・ロ・ズグアルド・ディ・サムライ(意:侍の表情で)”と自分の矜持を表現しています。

3. 「Domenica bestiale(ドメニカ・ベスティアーレ / 意:野獣の日曜日)」(1982)
Fabio Concato(ファビオ・コンカート / ミラノ出身)の代表曲のひとつ。ミラノがまだ眠っているうちに市街地を抜け出し、郊外の湖畔にデートに行く楽しさが幸せいっぱいに歌われています。

ミラノからほど近いマッジョーレ湖ミラノからほど近いマッジョーレ湖

参考:【ITALIANITYプレイリスト】大阪 – ミラノ姉妹都市提携40周年にファビオ・コンカート登場!

4. 「Milano intorno(ミラノ・イントルノ / 意:ミラノのあたりに)」(2017)
J-Ax(ジェイ・アックス / ミラノ出身)とFedez(フェデツ / ミラノ出身)の大人気ラッパー2人がタッグを組んだプロジェクトとしてリリースされたアルバムは年間チャートの首位を獲得した大ヒット。そのアルバムに収録されていた楽曲がこれ。

ミラノでの生活が少々アイロニックに語られています。“肉を食べないのに革張りのソファを所有してる”とか、“強制収容所とおとぎ話に登場するお城との中間”とか、“飼ってる犬は純血種だけど、自分は雑種”とか面白い表現が並びます。最後の表現は、多くのミラノっ子の先代が他の地域の出身者(特に南部が多い)という現実を自虐的に表現しています。

5. 「Milano Milano(ミラノ・ミラノ)」(2002)
前曲のJ-Axがソロになる前に所属していたHipHopデュオArticolo 31(アルティコロ・トレントゥーノ)のアルバム収録曲。ミラノの暗部を並べながらも、サビでは“セイ・トロッポ・ベッラ・ペル・ディルティ・アッディオ(意:君は美しすぎて、永遠に別れるなんてできないよ)”とミラノの魅力に首ったけの気持ちを歌っています。

6. 「Porta Romana(ポルタ・ロマーナ / 意:ローマ門)」(1963)
Giorgio Gaber(ジョルジョ・ガーベル / 1939-2003 / ミラノ出身)は、“テアトロ・カンツォーネ”と呼ばれる、主に劇場でセリフとも歌詞とも区別できないようなパフォーマンスを得意としたシンガーソングライター&ギタリストで、戦後のイタリア音楽界で最重要視されているエンターテイナーのひとり。敬愛を込めて“イル・シニョール・G(意:ザ・ミスターG)”の異名をとりました(定冠詞が付くところが絶対王者であるイメージ!)。

この楽曲のタイトルは“ん?ローマの曲では?”と勘違いし易いですが、ミラノにある6つの門のひとつの名前です。前出のアルティコロ31の歌詞中にも登場していますね。

ひたすらローマ門の美しさと、その門の元で生まれた恋が歌われていますが、写真を見る限りそんなロマンチックな雰囲気は感じられないようで…でもミラネーゼたちは今もこの歌が大好きみたいです。

ポルタ・ロマーナポルタ・ロマーナ

7. 「Un romantico a Milano(ウン・ロマンティコ・ア・ミラノ / 意:ミラノのロマン主義者)」(2006)
男女3人組バンドBaustelle(バウステッレ / トスカーナ州モンテプルチャーノで結成)が作家・ジャーナリストのLuciano Bianciardi(ルチァーノ・ビアンチァルディ / 1922-1971)に捧げた楽曲です。この作家は戦後イタリアの文化の熟成に大きな役割を果たした人物で、トスカーナ州グロッセート生まれですがミラノで育った人物です。

歌のモデルとなった作家ルチァーノ・ビアンチァルディ歌のモデルとなった作家ルチァーノ・ビアンチァルディ

8. 「Milano(ミラノ)」(2009)
Edda(エッダ / ミラノ出身)は本来、女性名ですが、熟年世代の男性シンガーソングライターの芸名です。80年代から90年代中頃までインディーズバンドRitmo tribale(リトモ・トリバーレ / 意:部族のリズム)で活動していましたが、バンド解散後は音楽活動から引退。12年も経過した2008年に突然SNSでソロとして新曲を発表してシーンに戻って来た異色の存在です。

そのソロデビューアルバムのプロデュースを務めたのがTaketo Gohara(タケト・ゴウハラ)。イタリア在住の日本人画家・合原幸夫氏の息子で、今ではイタリア音楽界で気鋭の存在となったミラノ生まれ&育ちの100%日本人音楽プロデューサーです。

Taketo GoharaTaketo Gohara

ずばり“ミラノ”をタイトルに据えたこの楽曲は、冒頭に“トゥ・ケ・セイ・ディ・トキオ・イオ・ディ・ミラノ(意:東京出身の君 私はミラノ出身)”というフレーズに思わず聴き耳を立てずにはいられません。“私を愛して”とか“結婚して”と出て来るので2人は恋愛関係にあるようです。最後のパートでは、歌中の主人公が女性であることが判りますので、どうやら東京出身の男性とミラノ出身女性との間のお話しのようです。

9. 「O mia bella Madunina(オー・ミア・ベッラ・マドゥニーナ / あぁ 私の美しいマドゥニーナ)」(1934)
作曲家Giovanni D’Anzi(ジョヴァンニ・ダンツィ / ミラノ出身)が書いた楽曲で、実はミラノっ子たちが今も愛して止まない断トツの楽曲のようです。

タイトルにある“マドゥニーナ”とは標準語では“Madonnina(マドンニーナ / 聖母マリアの小さな像)”のこと。ミラノっ子にとって、マドンニーナとは、ミラノのシンボルたる“ドゥオモ”のてっぺんに鎮座する金色のマリア像に他なりません。

ミラノのシンボルドゥオモ。ひときわ高い尖塔の上(矢印の先)の金色の像がマドンニーナミラノのシンボルドゥオモ。ひときわ高い尖塔の上(矢印の先)の金色の像がマドンニーナ

面白いのはミラノの隆盛の歴史は、特にナポリなど南部の労働力に支えられたため、作曲者ジョヴァンニ・ダンツィもミラノのナポリ人たちからナポリの歌の演奏を求められることが多かったようで、歌詞の1行目に既に“ナポリ”が登場しています。

ミラノっ子が誰でもソラで歌うサビの歌い出しは“あぁ 私の美しいマドゥニーナ 遠くから輝く”と、ドゥオモの上からミラノを見守ってくれる守護聖人のようなありがたい存在であることが判ります。

ドゥオモのてっぺんに鎮座し、ミラノを守るマドンニーナドゥオモのてっぺんに鎮座し、ミラノを守るマドンニーナ

10. 「Amo Milano(アモ・ミラノ / 意:僕はミラノを愛してる)」(2014)
Dargen D’Amico(ダルジェン・ダミーコ / ミラノ出身)の2015年発表アルバムの先行シングル曲第1弾。ミラネーゼ視点でミラノの暗部と素敵なところを表現している曲です。“ミラノとは、ヨーロッパにとってのイタリアであり、イタリアにとってのヨーロッパ”と素敵な表現で始まったかと思えば、“僕ら(=ミラネーゼ)は皆、移民なんだ”と断言してしまったり、挙句の果てに“欠陥しかないミラノが好きだ”、“僕はミラノを愛してる、だってもう住んでいないから”と、かなりの言われようです。

イタリア音楽ファンとすれば“ダッラ、バッティアート、ヤンナッチが歌ったミラノ”という一節にしびれます。3人ともイタリア人なら知らぬ人がいない大御所シンガーソングライターたちの名前が引用されています。

11. 「Milano(ミラノ)」(1979)
前曲でその名が引用された、イタリア人たちが愛して止まないLucio Dalla(ルーチォ・ダッラ / ボローニャ出身)がミラノを歌った楽曲。イタリアで一番“ヨーロッパ的な”ミラノ、と歌っていますが、大都会ゆえの混沌も同時描いています。この歌でも他の地域から人々が集まる大都市であるミラノでの日常風景を“ドイツ語での質問にシチリア語で答える”と歌っています。

12. 「Il Duomo di Milano(イル・ドゥオモ・ディ・ミラノ / 意:ミラノのドゥオモ)」(1970)
2曲前の曲でその名が引用された、イタリア最初期のロックミュージシャンのひとりと言われるEnzo Jannacci(エンツォ・ヤンナッチ / ミラノ出身)。シンガーソングライターと外科医の両方の職業を持ったイタリア音楽界の異色の存在。高校卒業後音楽院に進んで作曲や和声を習得して卒業すると、医学部にも進学し卒業したのです。

メタファーに富んだ詞で細かい意味ははっきりしませんが、哀歌であることは間違いありません。その雰囲気がミラノの街にぴったり合うせいか、未だにミラノを歌った歌のベスト10の中に入り続けている楽曲です。

13. 「Milano e Vincenzo(ミラノ・エ・ヴィンチェンツォ / 意:ミラノとヴィンチェンツォ)」(1978)
Alberto Fortis(アルベルト・フォルティス / ピエモンテ州ドモドッソーラ出身)のデビュー・シングルのB面曲。いきなり“ミラノ、ソノ・トゥット・トゥオ(意:ミラノよ、僕は全て君のものだよ)”と歌い始めるミラノ愛を感じさせる曲。

比較して歌われている“ヴィチェンツォ”とは、当時ローマに拠点を置いていたレコード会社&タレントスカウト会社の創始者の本名。つまり当時流行の最先端となっていたミラノのことをローマに住んでるヤツが判るのか?と名指しで批判した楽曲です。多くの若いアーティストと契約だけしておいて売り出そうとしない “飼い殺し”が横行していた芸能界に一矢報いる反逆の歌とも言えるでしょう。両者は2010年になってようやく和解しました。

14. 「Milano(ミラノ)」(2000)
Alex Britti(アレックス・ブリッティ / ローマ出身)はプロギタリストからシンガーソングライターに転向した逸材。自身が奏でるギターソロ部分はブルージーなボトルネック奏法なのも聴きどころ。ひたすら大都会ミラノの姿を描写した歌詞ですが、面白いのは“è Milano, con i suoi mille dialetti(エ・ミラノ、コニ・スォイ・ディアレッティ / ここミラノには、千の方言がある)”ミラノ自体の方言(かなり特異な方言です)もありますが、それが千種類ある、というよりも、イタリア中から人が集まり、移り住んでいる地方出身者が多い街、ということを描き出しています。

15. 「Innamorati a Milano(インナモラーティ・ア・ミラノ / 意:ミラノの恋人たち)」(1965)
Memo Remigi(メモ・レミージ / ロンバルディア州コモ郊外エルバ出身)の演者としての代表曲(彼は他者に提供した楽曲の方がヒットしています)。ミラノという大都会で恋をして、デートする違和感や狂気のような気持ちを歌っています。イタリアいちのオシャレな(=気取った)街であるが故の感覚なのでしょう。

16. 「Tu mi ricordi Milano(トゥ・ミ・リコルディ・ミラノ / 意:あなたは私にミラノを思い出させる)」(1989)
Ornella Vanoni(オルネッラ・ヴァノーニ / ミラノ出身)はまさにミラノが生んだイタリアのディーヴァと言って良いでしょう。1950年代後半から舞台女優&歌手としてキャリアをスタートし、60年代のカンツォーネ黄金時代に“三大プリマドンナ”のひとりと称されるようになり、その後も高い感性を伴った作品作りを続け、若い作者や音楽家とも積極的にコラボする精力的な活動を今日まで続けている、イタリア音楽界の最長老のひとりです。

この曲は名作詞家セルジョ・バルドッティと彼女のキャリアの初期から長いコラボレーションを続けているシンガーソングライター、ジーノ・パオリらが書き下ろした楽曲です。甘いラヴソングですが、タイトルの“あなた”とは、結局“ミラノ”のことのようですので、愛して止まないミラノ賛歌という解釈が成り立ちます。

17. 「Sorriso [Milano Dateo](意:微笑 [ミラノ・ダテオ])」(2019)
シンガーソングライターCalcutta(カルクッタ / ラツィオ州ラティーナ出身)がミラノ中心部の東に位置する駅名“ミラノ・ダテオ”をサブタイトルに掲げた不思議なラヴソング。2年もキスを交わしていない愛しい女性を、歌の主人公は“女友達”と呼んでいます。でも詞のあちこちに恋愛感情がこぼれています。それ以上のことは想像の域を出ないのですが、SNSでは繋がっているものの、実際には2年も会えていない友達以上恋人未満の関係を歌っているのかも? そしてその対象はミラノのことなのかも?

18. 「Ti amo anche se sei di Milano(ティ・アーモ・アンケ・セ・セイ・ディ・ミラノ / 意:たとえ君がミラノ出身だとしても君を愛してる)」(2007)
Fabrizio Moro(ファブリツィオ・モーロ / ローマ出身)が、ローマっ子とミラノっ子との遠距離恋愛をする大変さ(距離&金銭)を歌っています。注意深く歌詞を読むと、恋愛相手が異性であることが特定できない歌詞で書かれてあり、途中の語り口調のところで、“ローマが好き、ミラノが好き、男が好き、女が好き”と、ジェンダーレスに対応する歌詞が見事です。

19. 「Lontana è Milano(ロンターナ・エ・ミラノ / 意:遠いなミラノは)」(1973)
イタリア中に絶大なファンを持つ大スターにして重鎮シンガーソングライターのAntonello Venditti(アントネッロ・ヴェンディッティ / ローマ出身)の最初期の楽曲。ローマっ子の代表格のような彼によるミラノへの想いが歌われています。

20. 「Come Milano(コメ・ミラノ / 意:ミラノのように)」(2017)
ラッパーGhali(ガリ / ミラノ出身)は両親ともにチュニジア人ですが、生まれも育ちもミラノです。自らの出自のために苦しんだ過去とミラノを重ね合わせて表現した詞となっており、“僕は自分を憎み、自分を愛している、ミラノのように”という表現が見事です。

21. 「A Milano non crescono i fiori(ア・ミラノ・ノン・クレスコノ・イ・フィオーリ / 意:ミラノでは花は育たない)」(1964)
Gino Paoli(ジーノ・パオリ / フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州モンファルコーネ出身)は60年代にイタリア音楽界の変革を目指したジェノヴァ派シンガーソングライター集団の唯一の生存者にして、イタリア音楽界の最重鎮アーティストのひとり。北部の大都会のミラノは、外部の人間にはタイトルから感じ取れるようにイメージされるようで、“ミラノでは恋なんてできない”と歌われています。

22. 「Le 4 Milano(レ・クァットロ・ミラノ / 意:ミラノ4時)」(2019)
午前4時に愛しい人がいないベッドの中で眠れないでいる女性の考え事がそのまま歌詞になったような歌。Giordana Angi(ジョルダーナ・アンジ / フランスのブルターニュ圏ヴァンヌ出身・伊仏ハーフ)が自作して歌っています。

23. 「Il cielo di Milano(イル・チェロ・ディ・ミラノ / 意:ミラノの空)」(2007)
曲調で感じ取れる通り、失恋ソング。シンガーソングライターFrancesco Baccini(フランチェスコ・バッチーニ / ジェノヴァ出身)が歌います。

24. 「Il cielo di Milano(イル・チェロ・ディ・ミラノ / 意:ミラノの空)」(2004)
前曲と同じタイトルですが、別の曲でこちらは男性デュオグループB-nario(ビー・ナリオ)が歌います。こちらは冒頭で“ミラノの空は今日とても美しい”とポジティヴに歌われています。が、宇宙旅行を意味するような言葉が入ってきて、なんだか地に足が着いていない雰囲気です。最後に“3003年に戻ろう”と歌われるので、1000年の未来からやってきた人たちが“ミラノの空は今日はとても美しい”と歌っていたのですね。…ということは1000年後のミラノはどうなっているのやら・・・

25. 「Milano non è l’America(ミラノ・ノネ・ラメリカ / 意:ミラノはアメリカじゃない)」(1990)
ロンバルディア州ブレシャで結成されたロックバンドTimoria(ティモリーア)の1stアルバム収録曲。

26. 「Milano estate 2002(ミラノ・エスターテ・ドゥエミラドゥエ / 意:ミラノ夏2002年)」(2003)
ミラノで結成されたロックバンドLa Crus(ラ・クルス)がミラノでの暮らしを切り取って、掴みどころのない状況を歌っています。

27. 「Milano Roma(ミラノ・ローマ)」(2018)
ローマで結成されたバンドThegiornaristi(ザジォルナリスティ)が歌う、ミラノとローマの対比させた楽曲です。ローマっ子にとっては、ミラノとは比較せずにはいられない対象なのでしょうか。首都よりも大きな経済圏が違う都会がある、という構造が日本にはないので、その気持ちが日本人にはイメージできない部分がありますね。

28. 「Milano stanotte(ミラノ・スタノッテ)」(2018)
トスカーナ州アレッツォ近郊カポローナで結成されたロックバンドNegrita(ネグリータ)が歌うミラノソング。この歌詞からもやはりミラノはイタリア人にとって特殊な街であることがうかがい知れます。

29. 「Nei garage a Milano nord(ネイ・ガラージュ・ア・ミラノ・ノルド / 意:ミラノ北部の車庫の中)」
Le luci della centrale elettrica(レ・ルーチ・デッラ・チェントラーレ・エレットリカ / 意:中央発電所の光)というバンド名を名乗っているものの、シンガーソングライターVasco Brondi(ヴァスコ・ブロンディ / エミリア=ロマーニャ州フェッラーラ出身)のソロプロジェクト名です。この曲もミラノをネガティヴに歌っており、ミラノの暗部を描いています。

30. 「Sushi & coca(寿司とコカ)」(2008)
Marta sui Tubi(マルタ・スイ・トゥービ)はシチリア出身者が結成したロックバンド。この曲ではミラノの様々な顔、どちらかというと混沌とした面を歌っていますが、最後の方で“ミラノ・エ・ラ・ミア(意:ミラノは私のもの)”と歌っていますので、愛するが故の揶揄と捉えてよいでしょう。

31. 「Talkin’Milano(トーキン・ミラノ)」(1967)
社会派フォークシンガーの代表格Francesco Guccini(フランチェスコ・グッチーニ / エミリア・ロマーニャ州モデナ出身)の1stアルバム収録曲。グッチーニを含む3人のギターとハーモニカだけで録音されています。2人の男たちの会話で始まりますが、途中で英語や怪しいイタリア語で歌っている人物は、ギター&ハーモニカを担当したアメリカ人Alan Cooper(アラン・クーパー)です。

歌の中の3人はミラノに向けてバスで出発しようとしています。歌詞の世界観は、Simon & Garfunkel(サイモン&ガーファンクル)の「America(アメリカ)」(1968)に若干似ている気もします。グッチーニの方が1年前に発表していますので、両曲は影響関係にあったのかも?と想像するのも楽しいですね。

32. 「La Milano da bere(ラ・ミラノ・ダ・ベーレ / 意:呑んだくれのミラノ)」(2019)
シンガーソングライターGigi D’Alessio(ジジ・ダレッシオ / ナポリ出身)がラッパーEmis Killa(エミス・キッラ / ミラノ郊外ヴィメルカーテ出身)をフィーチャリングして発表した楽曲。ブランド品を身に着けて、呑んで盛り上がるミラノの夜が歌われています。

33. 「Passa la prima Milano-Sanremo(パッサ・ラ・プリマ・ミラノ~サンレモ / 意:最初のミラノ~サンレモが通り過ぎてゆく)(1955?)
Quartetto Cetra(クァルテット・チェトラ)は第二次世界大戦中に活動を開始し、イタリアの国民的人気を誇った男女混声ヴォーカルグループでした。この楽曲のタイトルにピン!と来る方は自転車レースファンでしょう。“ミラノ~サンレモ”はイタリアで最も歴史の長い自転車レースかつ最長距離を競う競技と目され、春に行われることから“クラッシカ・ディ・プリマヴェーラ(意:春の伝統競技)”とも呼ばれます。楽曲タイトルの“プリマ”は本来は“最初の”意味ですが、“プリマヴェーラ”の意味を含んでいるのかもしれませんね。

ミラノ~サンレモのロゴミラノ~サンレモのロゴ

34. 「Ma mi(マ・ミ / でも私に)」(1959)
イタリア演劇界の偉人Giorgio Strehler(ジョルジョ・ストレレール)が創始した“Le canzoni della Mala(マーラーの歌)”という舞台作品の中でもっとも有名な楽曲。“マーラー”とは、主人公に悪党、犯罪者、囚人、鉱山労働者などを設定して“裏社会”を描いた作品群で、ミラノ出身の歌手Ornella Vanoni(オルネッラ・ヴァノーニ)のためにミラノ方言で描かれたことが最大の特徴です。

35. 「La bella gigogin(ラ・ベッラ・ジゴジン)」(1858)
19世紀に流行した愛国歌のひとつです。ミラノ出身の作曲家Paolo Giorza(パオロ・ジョルザ)がロンバルディアやピエモンテに歌い継がれていた民謡を基に作曲しました。

この楽曲が書かれた時代背景が、イタリア統一(1861)直前であったことを理解しなければなりません。当時の北イタリアはオーストリアの支配下にあったのです。オーストリア軍を追い払い、リソルジメント(イタリア統一)を達成するイタリア人意識を高めるために様々な仕掛けが歌に込められました。

ジゴジンという美しい女性を褒めたたえた歌のように聴こえるように作られていますが、繰り返し歌われている“ダゲラ・アヴァンティ・ウン・パッソ(意:一歩前進)”はサヴォイア国王ヴィットリオ・エマヌエレII世(後のイタリア王国の初代国王)を歓迎する意味が込められ、ストーリーの口火を切る“15歳で恋をし、16歳で結婚、17歳で別れる”というモチーフはオーストリアとの決別する意思が込められ、後半で歌われる“ポレンタを食べないように”は、ポレンタ(とうもろこしのスープ)の黄色とオーストリア帝国の当時の国旗の色を掛け合わせています(本来ポレンタは北イタリア人が愛する郷土料理なのですが)。

アウトドアでも愛されているポレンタアウトドアでも愛されているポレンタ

当時(1804~1867)のオーストリア帝国の国旗当時(1804~1867)のオーストリア帝国の国旗

こうして暗号のようなステルス歌詞を埋め込み、方言で歌ったことでオーストリア側に気付かれないようにした歌だったのです。オーストリア軍はまんまと騙され、ヒット曲として彼らの軍楽隊のレパートリーに取り入れさえしたそうです。

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