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イタリア・シチリア州出身歌手特集!

ITALIANITYのテーマ「シチリア州特集」に合わせて、シチリア州出身歌手の代表曲をご紹介します。



シチリア州の位置と県

シチリア州出身アーティストのバックグラウンド

シチリア州は地中海最大の島であり、地中海のど真ん中に位置しており、これは古くから海上交通の要所であったことを意味しています。先住民、ローマ人、アラブ人、北欧人など、様々なオリジンを持つ人々が入植・交雑し、ミクスカルチャーの地であるのがシチリア州です。


この地から台頭したアーティストたちは、イタリア半島側の人々とは異なるアイデンティティを持った人物も多く、その中にはイタリア音楽史に永遠に残り続けるであろう巨匠も輩出しています。


プレイリスト収録曲をアーティスト別に解説!

Franco Battiato(フランコ・バッティアート)

シチリア出身アーティストの代表格、否、イタリアを代表する巨匠と目されているのがフランコ・バッティアートです。1945年カターニア県生まれで、2021年に76歳で他界し、イタリア中が悲しみに暮れたのも記憶に新しいところ。


Centro di gravità permanente(チェントロ・ディ・グラヴィタ・ペルマネンテ / 意:永久重心)」(1981)は、プラチナ・ディスクに輝いた大ヒットアルバムの代表曲のひとつ。軽やかなエレポップのアレンジですが、彼自身が感じる“喪失感” について歌っていると思われる、哲学的な歌詞も魅力です。


若き日のフランコ・バッティアート

「La Cura(ラ・クーラ / 意:治癒)」(1996)/ フランコ・バッティアート

1997年に年間最優秀曲に選ばれたヒット曲ですが、“ケア”を意味するタイトルゆえ、イタリアが大きなコロナ禍に襲われたときにたくさんのイタリア人歌手にこぞってカヴァーされ、再び大きな脚光を浴びた楽曲です。バッティアートは60年代の中ごろから音楽活動をはじめ、実験音楽から電子音楽、クラシック音楽、プログレッシヴ・ロックなどアルバムごとに振り幅の大きいジャンルで傑作を次々に発表。鬼才中の鬼才と言われる所以です。



Carmen Consoli(カルメン・コンソリ)

1974年カターニア生まれ。20代の若さで頭角を現して成功した、(数少ない)女性シンガーソングライターの代表格。その作曲能力と卓越したギターテクニック、特徴的な声に恵まれた逸材です。「Parole di burro(パローレ・ディ・ブッロ / 意:バターの言葉)」(2000)は年間最優秀曲に選ばれた楽曲で、その歌い出しの歌詞から、別名「Narciso(ナルチーゾ / 意:スイセンの花)」と呼ばれています。


カルメン・コンソリ

「’A finestra(ア・フィネストラ / 意:窓辺に)」(2009)/ カルメン・コンソリ

シチリア語、というよりも彼女の故郷のカターニアのことばで書かれた楽曲です。こうした狭い地域のことばの曲が21世紀にシングル化されるのは、非常に珍しいことでした。歌詞は社会の洞察を通して、特定の不正行為に対する非難など、かなり社会的なことを歌っているようです。


Gianni Bella(ジャンニ・ベッラ)


1946年カターニア生まれ。先にデビューした実妹Marcella(マルチェッラ)に多くの優れた楽曲を提供し、彼女の最初のブレイクに大きな貢献を果たした作曲家として注目を浴びました。1974年に満を持してシンガーソングライターとしてソロデビュー。「Non si può morire dentro(ノン・シ・プォ・モリーレ・デントロ / 意:中で死ぬことはできない)」(1976)は同年のフェスティヴァルバールで優勝に輝き、10週間に渡ってシングルチャート首位を続ける大ヒット曲(ベスト10には20週間ランクイン)となりました。終わった恋愛を歌っており、別れを切り出したはずの男が後に“逃した魚はでかかった”と後悔する気持ちが綴られています。


ジャンニ・ベッラ

「Io canto e tu(イオ・カント・エ・トゥ / 意:僕は歌う、そして君は)」(1977)/ ジャンニ・ベッラ

イタリアロック通なら喰いついてしまうに違いない敏腕ロックミュージシャンたち~Il Volo(イル・ヴォーロ)陣営など~がバックを固めた、極上のサウンドの逸品。この後のジャンニ・ベッラは、ソロ活動と並行して、実妹マルチェッラの80年代の第二の黄金期を支える作曲者&共演者として活動を続け、90年代になると、イタリア音楽界の首領(ドン)、Adriano Celentano(アドリアーノ・チェレンターノ)のメインコンポーザーとなり、多くの名曲を手掛けて大作曲家と目されるようになりました。


Marcella Bella(マルチェッラ・ベッラ)

1952年カターニア生まれ。ローティーンの頃からヴォーカリストとしての卓越した才能を開花させ、数々のコンテストを総なめにしましたが、規定年齢に達していない、訛りが抜けないなどを理由に無冠のファイナリストとなっていたという出自を持っています。1971年にようやくサンレモ音楽祭出場を果たしてから全国区の知名度を得た後、ちょうどイタリア音楽界の劇的な変遷の時期に、次世代スターの有力候補として白羽の矢が当たりました。


前出のイル・ヴォーロらの敏腕ミュージシャンたちが卓越したサウンドで固め、60年代サンレモ黄金期を牽引したオーケストラの指揮も務めたマエストロが結集&協力して生み出したのが、この「Nessuno mai(ネッスーノ・マイ / 意:誰も決して)」(1974)です。生のオーケストラサウンドとシャープなロックサウンドにシンセサイザーが絡み合うサウンドは、70年代の数年間の作品でしか聴くことのできないとても贅沢なものです。作曲者はもちろん実兄ジャンニ・ベッラ。


マルチェッラ・ベッラ

「Sicilia antica(シチリア・アンティカ / 意:古のシチリア)」(1973)/ マルチェッラ・ベッラ

シチリア語歌詞で歌われており、ジャンニ・ベッラを含む実兄2人がタッグを組んで書き上げた楽曲です。彼女には曲を書く実兄が3人いるのです。70年代にシンガーソングライターしか生き残れない時代に突入したのに、曲を書かない彼女がスターになれたのは、こうした家族に恵まれていたのも大きな要因です。


Beans(ビーンズ)

1969年にビートバンドとして活動を始めたポップロックバンドで、ジャンニ・ベッラが1975年にプロデュースを行い、メジャーシーンに登場しました。高音域のヴォーカルとコーラスの美しさで存在感を示しました。「Cara(カーラ / 意:愛しの女性)」(1977)はもちろんジャンニ・ベッラが提供した楽曲です。まるでジャンニ・ベッラが多重録音でレコーディングしたかのような世界観ですよね。


ビーンズ

Sister Cristina(シスター・クリスティーナ)

1988年ラグーザ県生まれ。2014年に卓越した歌唱力の修道女がマドンナの「ライク・ア・ヴァージン」をカヴァーして世界中でブレイクしたのを覚えていらっしゃる方も多いことでしょう。2015年の日本盤CDリリース時に来日も果たしています。1stアルバム収録曲のほとんどが英語曲でしたが、2018年の2ndアルバム(日本未発売)はほとんどがイタリア語曲の佳曲ぞろい! その代表曲がこの「Felice(フェリーチェ / 意:幸福)」。ちなみにイタリアでは“シスター”にあたる敬称は“Suor(スオール)”ですので、イタリアでは“Suor Cristina(スオール・クリスティーナ)”と呼ばれています。




シスター・クリスティーナ

Colapesce Dimartino(コラペッシェ・ディマルティーノ)

2人のソロ・シンガーソングライターがコラボしたデュオ。コラペッシェは1983年シラクーザ県出身、ディマルティーノは1982年パレルモ出身。2人ともインディーズシーンで活動していましたが、2020年にタッグを組んだ活動を開始。翌2021年に「Musica leggerissima(ムジカ・レッジェリッシマ / 意:とても軽やかな音楽)」でサンレモ音楽祭に出場すると、順位は4位に留まったものの、年間チャートでは7位(サンレモ出場曲中では優勝曲に次ぐヒット)と大ヒット。彼らの代表曲中の代表曲となりました。新時代のヒット曲でありながら、レトロなサウンドと楽曲構成なのが不思議な魅力ですね。



コラペッシェ・ディマルティーノ

Giovanni Caccamo(ジョヴァンニ・カッカモ)

1990年ラグーザ県生まれ。1曲目に紹介した偉人フランコ・バッティアートに見いだされ、アンドレア・ボチェッリをスターに育てたカテリーナ・カゼッリの秘蔵っ子として頭角を現した若手実力派シンガーソングライター。「Ritornerò da te(リトルネロ・ダ・テ / 意:僕は君の元に帰るだろう)」(2015)は、サンレモ音楽祭新人部門優勝曲。2016年に来日も果たしています。


ジョヴァンニ・カッカモ

Giusy Ferreri(ジューズィ・フェッレーリ)

1979年パレルモ生まれ。1998年に歌手活動を始めますが、鳴かず飛ばず……スーパーのレジ打ちで生計を立てていたそうです。21世紀になってイタリアに到来したタレント発掘番組に最後のチャンスを賭けて、29歳にして2008年にXファクターに出場すると2位に。しかしながら彼女が歌ったこの「Non ti scordar mai di me(ノン・ティ・スコルダール・マイ・ディ・メ / 意:私のことを決して忘れないでね)」(2008)は、年間ヒットチャートの2位にランキングし、21世紀のタレント発掘番組から生まれた最初のメガヒット曲となりました。その後も数々の賞を受賞し、彼女はタレント発掘番組出身の最初のスターとなりました。



もうひとつの人気タレント発掘番組・X Factor
CULTURE

もうひとつの人気タレント発掘番組・X Factor

よしおアントニオ / 2020.11.16


ジューズィ・フェッレーリ

La Rappresentante di Lista(ラ・ラップレゼンタンテ・ディ・リスタ)

パレルモ出身の男性とトスカーナ州出身女性がパレルモの演劇イヴェントで出会い、活動拠点をパレルモに定めて2011年に結成されたグループ。2011年と言えば、東日本大震災が発生した年。遠く離れた国のこの大災害に触発して、早々と原子力発電を放棄したイタリア。そう彼らはこの原子力発電の是非を問う国民投票に際して政治活動をしていたのがグループ名“リスト代表者”の由来です。ロシアのウクライナ侵攻に際し、イタリア音楽界でいち早く声を上げて、チャリティショーを実現したのも彼らでした。これを契機にこうしたイヴェントの常連となり始めています。「Ciao ciao(チャオ・チャオ)」(2022)は、サンレモ音楽祭2度目の出場曲。


ラ・ラップレゼンタンテ・ディ・リスタ

Lorenzo Fragola(ロレンツォ・フラーゴラ)

1995年カターニア生まれ。19歳の時、タレント発掘番組Xファクターで優勝してシーンに躍り出た若きシンガーソングライター。「# Fuori c’è il sole(フオーリ・チェ・イル・ソーレ / 意:外には太陽がある)」(2015)はチャート5位まで登ったヒット曲。


ロレンツォ・フラーゴラ

Levante(レヴァンテ)

1987年カターニア県生まれの女性シンガーソングライター。「Tikibombom(ティキボンボン)」(2020)はサンレモ音楽祭に初出場した時の楽曲で、チャート8位まで登ったヒット曲。


レヴァンテ

Patrizia Laquidara(パトリツィア・ラクイダーラ)

1972年カターニア生まれ。ブラジル音楽や地中海諸国の音楽を愛し、ポルトガル語曲、アラビア語曲、ギリシャ語曲などのレパートリーを持っています。また、幼少期に北イタリアのヴェネト州に転居したため、ヴェネト地方の伝承に基づいたアルバムを出すなど、エキセントリックな活動に定評がある女性シンガーソングライター。「Mielato(ミエラート / 意:ハチミツ)」(2003)はそんな彼女の魅力あふれる楽曲。2010年に来日も果たしています。


パトリツィア・ラクイダーラ


Roy Paci(ロイ・パーチ)

1969年シラクーザ県生まれ。スカのジャンルで活動するトランぺッターにしてシンガーソングライターという特異な存在。「Sicilia bedda(シチリア・ベッダ / 意:美しいシチリア)」(2003)はシチリア語で歌われる、ゴキゲンな故郷賛歌。


ロイ・パーチ

Kaballà(カバッラ)

1953年カターニア県生まれ。たくさんの歌手に楽曲を提供する作家活動で知名度を持つシンガーソングライター。自身のアルバムは4枚しかリリースしておりませんが、ワールド・ミュージック寄りの世界を繰り広げています。「Itaca(イタカ / 意:イタキ島)」(1993)は、ギリシャ領の地中海に浮かぶ島で、ホメーロス著『オデュッセイア』では、英雄オデュッセウスの故郷とされている島でもあります。


カバッラ

Luca Madonia(ルカ・マドニア)

1957年カターニア生まれ。80年代にニューウェイヴ系バンドDenovo(デノヴォ)のヴォーカリストとして活動した後、ソロ活動を始めました。「Quello che non so di te(クエッロ・ケ・ノン・ソ・ディ・テ / 意:君について僕が知らないこと)」は2006年の楽曲ですが、ここでは2019年に同郷の偉人フランコ・バッティアートをゲストに招いてレコーディングされたヴァージョンを紹介しておきます。


ルカ・マドニア

Marta sui Tubi(マルタ・スイ・トゥービ)

トラーパニ県やパレルモといったシチリア州西部出身者(70年代生まれ)が2002年に結成したオルタナロック・バンド。「Vorrei(ヴォッレイ / 意:僕は欲しい)」(2013)はサンレモ音楽祭出場曲。


マルタ・スイ・トゥービ

Agricantus(アグリカントゥス)

1979年に結成されたシチリア民族音楽や地中海音楽を奏でるフォーク・グループ。「Amatevi(アマーテヴィ / 意:汝を愛しなさい)」は、映画『I giardini dell’Eden(イ・ジャルディーニ・デッレデン / 意:エデンの園)』(1998 / イタリア)挿入歌。


アグリカントゥス

Pippo Pollina(ピッポ・ポッリーナ)

1963年パレルモ生まれ。前出のアグリカントゥスの創設メンバーのひとり。80年代のイタリア社会に馴染めず、イタリアを離れ、ストリートミュージシャンをしながらヨーロッパ中(北欧に至るまで)を放浪し、やがてスイスやドイツを活動の拠点とする活動に入ります。90年代の終わりにようやくイタリアに戻り、母国でようやく知名度を得る成功を勝ち取るという変わった経歴の持ち主。「Il nibbio(イル・ニッビオ / 意:トンビ)」(2017)


ピッポ・ポッリーナ

Ricky Portera(リッキー・ポルテラ)

1954年メッシーナ生まれ。Lucio Dalla(ルーチォ・ダッラ)のバックバンドにギタリストとして参加し、そのメンバーがロックバンドStadio(スターディオ)としてデビュー。スターディオ脱退後は、イタリアのロックの帝王Vasco Rossi(ヴァスコ・ロッシ)のギタリストとしてイタリアのロック界を牽引し、イタリアを代表するギターヒーローのひとりとなりました。貴重なヴォーカル・アルバムから「Santi e religiosi(サンティ・エ・レリジョージ / 意:聖人と修道士)」(2014)


リッキー・ポルテラ

Loredana Errore(ロレダーナ・エッローレ)

1984年ルーマニア生まれですが、生後間もなくシチリア州アグリジェンドに移住して育っています。ハイティーンの頃から数々の音楽コンテストに参加して実力を磨きました。2009年(25歳)でタレント発掘番組アミーチに出場して2位(優勝はエンマ・マッローネ)。「Ragazza occhi cielo(ラガッツァ・オッキ・チエロ / 意:女のコ・瞳・空)」(2010)は人気シンガーソングライターのビァージョ・アンントナッチが提供&プロデュースした楽曲です。(最後の方に挿入される男性ヴォーカルはアントナッチ)。


まもなく20周年を迎える若手タレント発掘番組・Amici(アミーチ)
CULTURE

まもなく20周年を迎える若手タレント発掘番組・Amici(アミーチ)

よしおアントニオ / 2020.10.30


ロレダーナ・エッローレ

Silvia Salemi(シルヴィア・サレミ)

1978年シラクーザ県生まれ。1995年(17歳)時に長年サンレモ音楽祭の登竜門であり続けていたカストロカーロ音楽祭からサンレモ・ジョーヴァニに勝ち進み、サンレモ音楽祭1996新人部門出場を果たすという、60年代に台頭したスター歌手たちと同様の路線から躍り出た女性シンガーソングライター。「A casa di Luca(ア・カーザ・ディ・ルカ / 意:ルカの家で)」(1997)は翌年のサンレモ音楽祭の大賞部門で4位という優秀な成績を残したヒット曲。


シルヴィア・サレミ

Sugarfree(シュガーフリー)

2000年にカターニアで結成されたポップロックグループ。「Cleptomania(クレプトマニア / 意:盗癖)」(2004)はデビュー曲にしていきなりチャート1位に輝いた大ヒット曲。


シュガーフリー

Gerardina Trovato(ジェラルディーナ・トロヴァート)

1967年カターニア生まれの女性シンガーソングライター。何といっても自作曲「Vivere(ヴィーヴェレ / 意:生きる)」(1994)がまだブレイク前だったアンドレア・ボチェッリとのデュエットでレコーディングされた事が大きな足跡となりました。同曲は2008年に「Dare to Live (意:勇気をもって生きなさい)」というタイトルでラウラ・パウジーニとボチェッリという世界的な知名度を誇るイタリアを代表する2人の歌手によって英語歌詞がミックスされたヴァージョンでリメイクされ、さらに世界中に知られるようになりました。


ジェラルディーナ・トロヴァート

Umberto Balsamo(ウンベルト・バルサモ)

1942年カターニア生まれ。60年代から活動するレジェンド的アーティスト。数々の歌手に楽曲を提供する作曲家として活動を始め、ソロアーティストとしてもレコーディングを行うというスタンスで活動しています。「L’angelo azzurro(ランジェロ・アッズッロ / 意:水色の天使)」(1977)はスマッシュヒットしました。


ウンベルト・バルサモ

Giuni Russo(ジュニ・ルッソ)

1951年パレルモ生まれ。クラシック音楽一家で育ち、同時期の新人歌手たちと同じ路線を辿って活動開始しますが、独特の世界観と超人的な発声力、そして作曲能力を兼ね備えていたため、他の歌手たちと一線を画す存在となりました。1&2曲目に紹介したイタリア音楽界の鬼才となるフランコ・バッティアートが提供した「Un’estate al mare(ウネスターテ・アル・マーレ / 意:海辺の夏)」(1982)は同年のフェスティヴァルバール優勝曲となり、現代でもなお夏の定番曲としてエヴァ―グリーンな楽曲となっています。脳腫瘍で5年間の闘病生活を過ごしたのち、2004年に53歳の若さで亡くなりました。



ジュニ・ルッソ