MUSIC

MUSIC

イタリア・ピエモンテ州出身歌手特集!

ITALIANITYのテーマ「ピエモンテ特集」に合わせて、ピエモンテ州出身歌手の代表曲を2回に分けてご紹介します。


ピエモンテ州の位置と県
ピエモンテ州の位置と県

プレイリスト収録曲詳細

1. Umberto Tozzi(ウンベルト・トッツィ)
ピエモンテ州出身者で最も世界的に知名度が高いレジェンド。トリノ出身1952年生まれ。1977年に放った「Ti amo(ティ・アーモ / 意:君を愛してる)」が世界的なメガヒットとなり、英語圏では“Mr.Ti Amo(ミスター・ティ・アーモ)”の異名をとり、1958年に全米チャート首位を獲得した「ヴォラーレ(Nel blu dipinto di blu)」を自作して歌ったドメニコ・モドゥーニョの再来と称えられました。その後、毎年世界的なヒット曲を4年間に渡って放ち、不動の名声を手に入れました。


ウンベルト・トッツィ
ウンベルト・トッツィ

2. ウンベルト・トッツィGli altri siamo noi(リ・アルトリ・シァーモ・ノイ / 意:僕らは他人なのか)」(1991)
サンレモ音楽祭1991で4位となり、ダンス・ビートのメガヒット曲で一世を風靡したトッツィのターニングポイントとなった、味わい深い楽曲。ハワード・ジョーンズ(英)が「Other people are us」のタイトルで英語カヴァーしています。


3. Subsonica(スブソニカ)
1996年にトリノで結成され、97年にデビューした5人組ロックバンドで、商業路線にはあまり乗らない活動ながらもカルト的な人気を集め、今ではイタリアを代表するバンドのひとつとみなされています。フロントマン3名がソングライターであり、うち、ギタリストのマックスはメインコンポーザー&プロデュースを務め、キーボードのブースタは他のアーティストのプロデューサーとしても存在感を示しています。「Tutti i miei sbagli(トゥッティ・イ・ミエイ・ズバッリ / 意:すべて俺の間違い)」(2000)はサンレモ音楽祭2000出場曲で、チャート8位まで登った彼らの代表曲。


スブソニカ
スブソニカ

4. スブソニカIstrice(イーストリチェ / 意:気難しい人)」(2011)
ゴールド・ディスクを記録したヒット曲。フロントマン3人の共作曲。気難しい同士の2人の若い男女のラヴストーリーが描き出され、その背景には街灯やアーケード、川などが描写されており、明らかにポー川に接するトリノの街が舞台となっていることが感じ取れます。


ポー川流域のムラッツィ(トリノ)
ポー川流域のムラッツィ(トリノ)

5. Rita Pavone(リタ・パヴォーネ)
トリノ出身1945年生まれ。1962年デビュー以降、パンチある歌唱力で一世を風靡した女性歌手。2005年に60歳を節目に引退するも、2013年にカムバックし、75歳になる2020年には48年ぶりのサンレモ音楽祭出場を果たしました。「Come te non c’è nessuno(コメ・テ・ノン・チェ・ネッスーノ / 意:あなたのような人は誰もいない)」(1963)はリタ18歳の歌声。


6. リタ・パヴォーネZucchero(ズッケロ / 意:砂糖)」(1969)
サンレモ音楽祭出場曲で、イタリアのビート・バンドの歴史にその名を残すDik Dik(ディク・ディク)と歌い分けた楽曲。当時は演奏者名をクレジットする習慣が無かったため、R&B色の強いコーラスは誰なのか?が長い間、闇に埋もれたままになっていましたが、担当したイギリス人アレンジャーが2011年になって、“コーラス隊にLucio Battisti(ルーチォ・バッティスティ)とRicky Gianco(リッキー・ジャンコ)が居たのを覚えている”と証言し、大きな話題となりました。となると、演奏していたバンドはQuelli(クェッリ / PFMの前身バンド)ではないか?と色めき立ちましたが、このアレンジャーの記憶は薄れていて、特定できませんでした。当時は複数のミュージシャンたちが演奏したテイクの中から試行錯誤して選んでマスタリングするのが普通だったので、演奏したミュージシャンでさえも、最終的に採用されたテイクが自分のものかどうか判断できないそうです。


リタ・パヴォーネ
リタ・パヴォーネ

7. Fred Buscaglione(フレッド・ブスカリォーネ)
トリノ出身1921-1960のシンガーソングライターで、1939年からジャズ畑で活動開始し、50年代にはソロとしてレコードデビュー(78回転のレコード!)を果たし、50年代のイタリア音楽を代表する偉大な音楽家として今も称えられています。「Guarda che luna(グァルダ・ケ・ルーナ / 意:ご覧、なんて月だ)」(1959)は、ベートーヴェンの「月光」を想起させるイントロで始まるエヴァーグリーンな楽曲で、その後数多の音楽家にカヴァーされ続けられている楽曲でもあります。


8. フレッド・ブスカリォーネLove in Portofino(ラヴ・イン・ポルトフィーノ)」(1958)
この英語交じりの歌唱で、ブスカリォーネは独特のムーディーな世界感を築きました。2013年にアンドレア・ボチェッリのライヴ盤のアルバムタイトル&冒頭の楽曲となり、リバイバルヒットしました。


フレッド・ブスカリォーネ
フレッド・ブスカリォーネ

9. Arti e Mestieri(アルティ・エ・メスティエリ)
1974年にアルバムデビューしたジャズ・ロックバンドで、日本でも主にプログレファンに高く評価されています。フリオ・キリコの、あらゆる場面で細かいドラムロールを駆使する超人的なドラムテクニックに注目が集まりがちですが、楽曲作り・アレンジ・演奏テクニックに秀でたメンバーが集まっており、ヴァイオリンとギター、サックスを重ねたサウンドにこそ自分たちのアイデンティティがある、とメンバーの談。基本的にはインストバンドですが、ところどころに歌が入る曲から選曲しました。「Strips(ストリップス)」(1974)はデビューアルバム収録曲。


10. アルティ・エ・メスティエリSaper sentire(サペール・センティーレ / 意:感じ取れること)」(1975)
2ndアルバム収録曲。彼らにしては珍しく、頭からヴォーカルが入り、コーラスワークも聞き取れます。


アルティ・エ・メスティエリの1stアルバム『Tilt』(1974)
アルティ・エ・メスティエリの1stアルバム『Tilt』(1974)

11. Eugenio in Via Di Gioia(エウジェニオ・イン・ヴィア・ディ・ジョイア)
2012年にトリノで結成されたポップ・フォーク・バンド。意味があるように感じられる不思議なバンド名は、メンバーの名前の寄せ集めでできています。「Altrove(アルトローヴェ / 意:別の処に)」(2018)は、完璧を求め過ぎると、自分で自分を苛むことになる、と歌っています。


12. エウジェニオ・イン・ヴィア・ディ・ジョイアTsunami(ツナミ / 意:津波)」(2019)

サンレモ音楽祭2020の新人部門出場曲で、ファイナリストに残れなかったものの、栄誉あるミア・マルティーニ賞(批評家賞)を受賞しました。


エウジェニオ・イン・ヴィア・ディ・ジョイア
エウジェニオ・イン・ヴィア・ディ・ジョイア

13. Willie Peyote(ヴィリー・ペヨーテ)
トリノ出身1985年生まれのラップ系シンガーソングライター。2004年ごろからヒップホップ音楽の世界に入り、2013年にアルバムデビュー。「Mai dire mai [la locura](マイ・ディーレ・マイ [ラ・ロクーラ] / 意:決して言うな 決して」は、サンレモ音楽祭2021に初出場して6位となり、栄誉あるミア・マルティーニ賞を受賞しました。2007年~2010年にTV放映されたコメディドラマ「Boris(ボリス)」(テーマ曲はエリオ・エ・レ・ストリエ・テーゼ!)にインスピレーションを得たタイトルとなっています。


14. ヴィリー・ペヨーテLa tua futura ex moglie(ラ・トゥア・フトゥーラ・エクス・モーリエ / 意:君の未来の元妻)」(2019)
タイトルは“未来における過去”という不思議なシチュエーションを現しており、予想通りバッドエンドの物語で、実はほぼ自伝的な話だとか。


ヴィリー・ペヨーテ
ヴィリー・ペヨーテ

15. Matteo Romano(マッテオ・ロマーノ)
クネオ県出身2002年生まれの若きシンガーソングライター。実は三つ子ちゃんの長男だそうです。18歳時のデビュー曲が「Concedimi(コンチェーディミ / 意:僕に許してくれ)」(2020)で、チャート13位まで登るヒットとなりました。


16. マッテオ・ロマーノVirale(ヴィラーレ / 意:ウイルス性の)」(2022)
サンレモ音楽祭2022に初出場した時の楽曲。チャート10位に登るスマッシュヒットを記録。


マッテオ・ロマーノ
マッテオ・ロマーノ

17. Frankie Hi-NRG MC(フランキー・ハイ・エナジー・エム・シー)
トリノ出身1969年生まれ、1992年デビューのベテランラッパーのひとり。「Rivoluzione(リヴォルツィォーネ / 意:革命)」(2008)はサンレモ音楽祭2008に初出場した時の楽曲。アルバム収録ヴァージョンは、トランペットがRoy Paci(ロイ・パ-チ)、最後のだみ声歌唱はEnrico Ruggeri(エンリコ・ルッジェーリ)という豪華な面々。名優アルベルト・ソルディ(1920-2003)を想いながら書いた曲だそうです。


18. フランキー・ハイ・エナジー・エム・シーQuelli che benpensato(クエッリ・ケ・ベンペンサート / 意:よく考えられたこと)」(1997)
“1997年最高のイタリア語曲”に選出された楽曲。当時世界的に話題となった“ヤッピー(若く・都市型の・エリート)”を歌っています。デュエットしているのはRiccardo Sinigallia(リッカルド・シニガリア)。2012年に大御所Fiorella Mannoia(フィオレッラ・マンノイア)にもカヴァーされました。


フランキー・ハイ・エナジー・エム・シー
フランキー・ハイ・エナジー・エム・シー

19. Righeira(リゲイラ)
トリノの同級生2人が結成したデュオで、83年デビュー。スペイン語歌詞でラテンムードのダンス音楽でいきなりヒットを飛ばし、85年に「L’estate sta finendo(レスターテ・スタ・フィネンド / 意:夏が終わろうとしてる)」がチャート1位となりフェスティヴァルバールで優勝のメガヒット曲となり、永遠のサマーソングのひとつとして毎夏聞かれ続けている楽曲です。


20. リゲイラInnamoratissimo(インナモラティッシモ / 意:激しく恋する男)」(1986)
スローで始まるイメチェン曲か?と思うも、安定のダンサブルの曲調になって、期待を裏切らない楽曲です。


リゲイラ
リゲイラ

21. Carla Bruni(カーラ・ブルーニ / カルラ・ブルーニ)
ニコラ・サルコジ元フランス大統領夫人ですが、元はトリノ出身のイタリア人(1967年生まれ)で、ファッションモデル出身の歌手(イタリア語読みは “カルラ”)。歌う時は80%以上がフランス語で英語歌唱が15%ぐらいですが、数少ないイタリア語歌唱曲もあります。「Dolce Francia(ドルチェ・フランチャ / 意:愛しのフランス)」(2013)は、仏の偉大なシンガーソングライターCharles Trenet(シャルル・トレネ/1913-2001)の1943年作品「Douce France(ドゥース・フランス)」にカーラ自身がイタリア語歌詞を付けたもの。


カルラ・ブルーニとニコラ・サルコジ元仏大統領
カルラ・ブルーニとニコラ・サルコジ元仏大統領

22. カーラ・ブルーニVoglio l’amore(ヴォッリヨ・アマーレ / 意:私は愛したい)」(2020)
実姉で女優のValeria Bruni Tedeschi(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ / トリノ出身 / 1964年生まれ)をゲストに迎えて、50代姉妹がまさかのラップで歌う異色作。


ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ(左)とカーラ・ブルーニ(右)
ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ(左)とカーラ・ブルーニ(右)

23. Mau Mau(マウ・マウ)
1990年にトリノで結成されたフォークロックグループ。そのグループ名は、1950年代~60年代にアフリカ・ケニアでの独立運動に起因しています。90年代の世界的なワールド・ミュージック・ブームの中で来日公演も果たしています。「Lasciatemi in pace(ラシャーテミ・イン・パーチェ / 意:僕を平和にいさせてくれ)」(2008)


24. マウ・マウMare Nostrum(マーレ・ノストルム / 意:僕らの海)」(2011)
活動20周年記念楽曲。


マウ・マウ
マウ・マウ

25. La Strana Società(ラ・ストラーナ・ソチエタ)
1971年トリノで結成&1972年デビューのグループ。基本的には歌無しインストバンドでしたが、時折歌入り曲も手掛けています。このプレイリストの冒頭で紹介したウンベルト・トッツィがソロデビュー前に在籍していた(1975年)バンドとしても有名です。「Fai tornare il sole(ファイ・トルナーレ・イル・ソーレ / 意:太陽を戻しておくれ)」(1974)。


26. ラ・ストラーナ・ソチエタAndiamo via(アンディアーモ・ヴィア / 意:行きましょう)」(1976)
サンレモ音楽祭1976初出場して12位となった楽曲。


ラ・ストラーナ・ソチエタ
ラ・ストラーナ・ソチエタ

27. Franco Tozzi(フランコ・トッツィ)
前出のウンベルト・トッツィの8歳上の実兄(1944年生まれ)で、彼はまだ両親が故郷のプーリア州に住んでいる時に生まれましたが、幼少期に一家でトリノに移住したため、末っ子のウンベルトはトリノ生まれ、ということになります。フランコは早くも1964年に歌手デビューを果たしましたが、当時はまさにカンツォーネ黄金時代でしたので、“オーソドックスなカンツォーネ歌手”として活動しています。顔はさすがに兄弟なので、そっくりです。「I tuoi occhi verdi(イ・トゥオイ・オッキ・ヴェルディ / 意:君の緑の瞳)」(1965)は、同年の『夏のディスク』で惜しくも2位となった彼の代表曲となりました。ちなみに優勝したのはOrietta Berti(オリエッタ・ベルティ)です。


28. フランコ・トッツィPerdonala(ペルドーナラ / 意:彼女を許したまえ)」(1966)
同年の薔薇のフェスティヴァル参加曲で、Little Tony(リトル・トニー)とのコンビで出場し、スマッシュヒットとなりました。


フランコ・トッツィ
フランコ・トッツィ

29. Ernesto Bonino(エルネスト・ボニーノ)
トリノ出身1922-2008。戦中から活動開始した戦後直後の人気歌手のひとり。「Il giovanotto matto(イル・ジョヴァノット・マット / 意:狂った若者)」(1944)は、名匠Lelio Luttazzi(レリオ・ルッタッツィ/1923-2010)が書いた楽曲で、両者にとっての最大のヒット曲となりました。


30. エルネスト・ボニーノA Zonzo(ア・ゾンゾ / 意:ぶらぶらと)」
後に俳優・歌手のアルベルト・ソルディが歌詞を変えてカヴァーするようになった楽曲です。


エルネスト・ボニーノ
エルネスト・ボニーノ

31. Nella Colombo(ネッラ・コロンボ)
ミラノ生まれトリノ育ちの女性歌手(1927-1999)で、戦後すぐ活動を始め、ブラックのテイストを持った戦後初の女性歌手と呼ばれています。「Perduto amore [in cerca di te](ペルドゥート・アモーレ [イン・チェルカ・ディ・テ] / 意:失われた恋 [あなたを探して])」(1945)は、40年代最高のヒット曲のひとつと称され、2011年にSimona Molinari(シモーナ・モリナリ)にエレクトロ・スウィングのキーでカヴァーされました。


32. ネッラ・コロンボMamma mi ci vuole il fidanzato(マンマ・ミ・チ・ヴォーレ・イル・フィダンザート / 意:ママ、私には婚約者が必要なの)」(1941)
マエストロ・カルロ・プラートに師事し、彼のオーケストラで弱冠14歳から歌い始めていた時に生まれたヒット曲です。


ネッラ・コロンボ
ネッラ・コロンボ