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トスカーナ出身歌手特集!第二弾

トスカーナ特集KV

今秋のITALIANITYのテーマ「トスカーナ」に合わせて、トスカーナ出身歌手の代表曲をご紹介する企画の第2弾。

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トスカーナ州の位置と県トスカーナ州の位置と県

プレイリスト収録曲詳細

1. Gianna Nannini(ジャンナ・ナンニーニ / 1954年生まれ)
1970年代後半ごろシーンに登場し、80年代に女性ロッカーとしてブレイク。今日までロックの女王として君臨し続け、今ではイタリアの重鎮シンガーソングライターのひとりと目されています。父はシエナの有名なパティスリーのオーナーで、シエナ市長も務めた地元の名士。弟はF1パイロットとして活躍したアレッサンドロ・ナンニーニ(日本では“ナニーニ”の表記で定着)。

ジャンナはLGBT+であることを公言していましたが、56歳の時に突然妊娠を発表し初産。その不自然さに対して、人工妊娠などの疑惑(イタリアでは違法)が巻き起こり大きなバッシングを受け、社会問題にまでなりましたが、彼女はその真実を一切明らかにしていません。

Ogni tanto(オーニ・タント / 意:時々)」(2010)はまさに出産の数日後に発表された楽曲。明らかに生まれた愛娘への想いと、この出産を決意した彼女の強い意志がところどころに込められています。

サビで歌われる‘Amor che nulla hai dato al mondo(アモール・ケ・ヌッラ・アイ・ダート・アル・モンド / 意:アモーレ、あなたが世間に与えたものなど何もないの)’ という意味深なフレーズは、生まれて来る子供には何の汚点もない、というジャンナの想いと同時に、おそらくダンテの『神曲』に登場する‘Amore, ch’a nullo amato amar perdona(アモール、カ・ヌッロ・アマート・アマール・ペルドーナ / 意:恋は、愛された人が愛し返さないことを許さない)’ をもじったものと考えられます。同作品の地獄篇・第五歌に登場する、パオロとフランチェスカの悲恋のエピソード(なんと実話!)が元になった一節です。

真実の恋なのに断罪されたという有名な悲劇に、ジャンナは疑惑の目に晒された自身の妊娠&出産を重ね合わせて表現していると想定できます。

2. ジャンナ・ナンニーニBello e impossibile(ベッロ・エ・インポシービレ / 意:美しくてあり得ない)」(1986)
ひたすら中東風の黒い瞳の美しさを歌っていて、単なるラヴソングのように感じられます。しかしその時代と“中東”のキーワードを照らし合わせると、イラン・イラク戦争(1980~1988)の最中であり、特に1986年はアメリカ軍が介入した年でもあります。イタリアは距離的に中東に近く、芸能人が強い政治的思想を示すことが当たり前のお国柄なので、この後も中東やバルカン半島で勃発する様々な紛争の度に、それらを示唆する歌が生れ続けているというところも、日本とは異なる文化と言ってよいでしょう。

シエナのカンポ広場シエナのカンポ広場

3. Nada(ナーダ / 1953年生まれ)
州西部リヴォルノ近郊の海街ロジニャーノ・マリッティモ出身。60年代後期に抜群の歌唱力と美貌を兼ね備えたアイドル歌手としてシーンに登場してブレイクし、サンレモ音楽祭1971で優勝を果たします。

その頃、カマレオンティ(バンド)のベーシストGerry Manzoli(ジェリー・マンゾーリ)と運命的な出会いを果たし、後に結婚。お仕着せられていたアイドルの立ち位置をかなぐり捨て、その後は自分が望むスタイルでの活動を始めます。

そこまでのナーダの半生が2021年春に「La bambina che non voleva cantare(ラ・バンビーナ・ケ・ノン・ヴォレーヴァ・カンターレ / 意:歌いたくなかった少女)」のタイトルでドラマ化されて放映されました。

アイドル脱却後の最大のヒット曲となったのが「Amore disperato(アモーレ・ディスペラート / 意:絶望的な恋)」(1983)。夫君のジェリーらが書き下ろした楽曲で、80年代を代表するヒット曲のひとつと目されています。

TVドラマ化されたナーダの半生TVドラマ化されたナーダの半生

4. ナーダMa che freddo fa(マ・ケ・フレッド・ファ / 邦題:なんて寒い」(1969)
ナーダが15歳でサンレモ音楽祭に初出場した楽曲で、結果は5位でしたが、今日まで多くの歌手にもカヴァーされ、歌い継がれ続けるナーダの看板曲。

リヴォルノの港リヴォルノの港

5. Marco Masini(マルコ・マジーニ / 1964年生まれ)
名匠ジャンカルロ・ビガッツィが率いた“フィレンツェ派”のひとりで、フィレンツェ生まれのシンガーソングライター。「T’innamorerai(ティンナモレライ / 意:君は恋をするだろう)」(1993)は、90年代のバラードポップの傑作と目される1曲ですが、タイトルの“君が恋するだろう”相手は、他のイケスカない男。という切ない設定。その男に騙されたと気付いた時、君はきっと僕に恋するはず、もう遅過ぎるのに。という思い込みが激し過ぎるオチも面白い。

参考:イタリアン・ポップス界をけん引した偉人ジャンカルロ・ビガッツィ

6. マルコ・マジーニChe giorno è(ケ・ジョルノ・エ / 意:今日はどんな日?)」(2015)
サンレモ音楽祭2015出場曲。タイトルは曜日を尋ねる時にも、日にちを尋ねる際にも使う言葉で、言い切るときは“なんて日だ!”という意味にも聞こえる言葉です。

フィレンツェフィレンツェ

7. Pupo(プーポ / 1955年生まれ)
州東部アレッツォ県ラテリーナ出身。「Gelato al cioccolato(ジェラート・アル・チョッコラート / 意:チョコレート味アイスクリーム)」(1979)
プーポの初期のヒット曲にして、自身の最大のヒット曲。ディスコミュージック真っ盛り期のイタリアらしい名曲のひとつとも言えるでしょう。サビの早口言葉のようなフレーズが歌えるようになるとなお楽しい楽曲です。
♪ジェラート・アル・チョッコラート / ドルチェ・エ・ウン・ポ・サラート / トゥ・ジェラート・アル・チョッコラート / ウン・バーチョ・アル・チョッコラート / イオ・テ・ロ・ルバート / トゥ・ジェラート・アル・チョッコラート♪
(チョコ味のアイスは / 甘くて少しショッパイ / 君はチョコ味のアイス / チョコ味のキス / 僕がそれを君から盗んだ / 君はチョコ味のアイス)

8. プーポSu di noi(ス・ディ・ノイ / 意:僕の上に)」(1980)
プーポのサンレモ音楽祭初出場曲で、彼の代名詞となる楽曲のひとつとなりました。

9. Paolo Vallesi(パオロ・ヴァッレージ / 1964年生まれ)
フィレンツェ生まれのシンガーソングライター。「La forza della vita(ラ・フォルツァ・デッラ・ヴィータ / 意:命の力 / 邦題:せつなさよりも強く)」(1992)はサンレモ音楽祭で3位の上位入賞を果たし、彼の代名詞となる楽曲となりました。当時流行し“死の病”と恐れられていたエイズに罹患した人々に贈られた応援歌です。

参考:トスカーナ特集!花の都フィレンツェに捧げられた歌特集!

10. パオロ・ヴァッレージLe persone inutili(レ・ペルソーネ・イヌーティレ / 意:無益な人々)」(1991)
サンレモ音楽祭1991で新人部門優勝を勝ち取った楽曲。

11. Francesco Nuti(フランチェスコ・ヌーティ / 1955年生まれ)
州北部プラート生まれで、主に俳優や映画監督を軸足に活動していますが、特に80年代には歌手としても精力的に活動していた人物で、自身の映画作品の中でも多くの楽曲を手掛けています。「Sarà per te(サラ・ペル・テ / 意:君のためになるよ)」(1988)は、サンレモ音楽祭に初出場した代表曲のひとつで、美しい癒しの楽曲。

プラートのドゥオモ広場プラートのドゥオモ広場

12. フランチェスコ・ヌーティSe l’hai vista camminare(セ・ライ・ヴィスタ・カッミナーレ / もし彼女が歩いているのを君が見かけたなら)」(1998)
ヌーティが監督・主演を務めた映画『Il signor Quindicipalle(イル・シニョール・クインディチパッレ / ミスター・15球=ビリヤード)』(1998)挿入歌。

13. Karima(カリマ / 1985年生まれ)
州西部リヴォルノ出身。アルジェリア人の父とイタリア人の母の間に生まれたハーフで、父方のDNAを受け継ぐようなブラックな歌唱が魅力です。2006年にタレントリアリティショウ番組アミーチに出場して3位に入ったことからプロ歌手の道が開けました。「Brividi e guai(ブリヴィディ・エ・グァイ / 意:震えと災難)」(2010)は当初Noemi(ノエミ)のために書かれた楽曲で、録音まで済んでいたのにノエミが発表を取り止めたそうで、その録音トラックにそのままカリマの歌唱を載せたため、コーラスの声の中にノエミらしき声が残っているという面白いテイクとなりました。

14. カリマUn angolo di mondo(ウン・アンゴロ・ディ・モンド / 意:世界の片隅)」(2010)
カリマの1stアルバムに収録されていた美しいバラード。

15. Negrita(ネグリータ)
州東部アレッツォ近郊カポローナで結成され、90年代から今日まで活動を続けるロックバンド。「Rotolando verso sud(ロトランド・ヴェルソ・スッド / 意:南へ転がりながら)」(2005)は、同年夏に大ヒットした彼らの代表曲のひとつで、レゲエサウンドが特徴的です。

16. ネグリータHo imparato a sognare(オ・インパラート・ア・ソニャーレ / 意:俺は夢みることを覚えた)」(1997)
同年公開の映画『Tre uomini e una gamba(トレ・ウォーミニ・エ・ウナ・ガンバ / 意:3人の男たちと1本の脚)』(1997)の挿入歌にもなりました。

アレッツォの庁舎アレッツォの庁舎

17. I Califfi(イ・カリッフィ / 意:カリフたち)
60年代にフィレンツェで結成され、ビートバンドとして活躍したイタリア最古参バンドのひとつ。最初期のヒット曲のひとつ「Al mattino(アル・マッティーノ / 意:朝に)」(1967)この時期には後にArea(アレア)の異色のギタリストとして大活躍するPaolo Tofani(パオロ・トーファニ)が在籍していたので貴重なテイクとも言えます。

18. イ・カリッフィFiore finto, fiore di metallo(フィオーレ・フィント、フィオーレ・メタッロ / 意:偽の花、金属製の花)」(1973)
当時のプログレッシッヴ・ロックのブームに乗じて、一段とプログレっぽいロック作品に仕上がった2ndアルバムの収録曲。

19. Labyrinth(ラビリンス)
90年代に州北西部マッサ=カッラーラ県マッサで結成され、一貫して英語詞で歌うヘヴィメタル・バンド。英語詞が幸いし、日本でもCDがリリースされ、来日公演も行っています。「Moonlight(ムーンライト)」(1998)

20. ラビリンスFalling Rain(フォーリング・レイン)」(1998)
2曲ともヴォーカルはRob Tyrant(ロブ・タイラント)ことRoberto Tiranti(ロベルト・ティランティ)が務めています。New Trolls(ニュー・トロルス)のメンバーとしても来日し、ツインネックのベースを弾きながら、抜けるような高音ヴォーカルも披露しました。

21. Piero Ciampi(ピエロ・チャンピ / 1934-1980)
州西部リヴォルノ出身で、1960年代に活動を始め、45歳の若さで早世してしまった、イタリアのシンガーソングライターの中でレジェンド的存在の人物です。
L’amore è tutto qui(ラモーレ・エ・トゥット・クイ / 意:愛は全てここに)」(1970)

22. ピエロ・チャンピIl vino(イル・ヴィーノ(意:ワイン=酒)」(1970)
前出の楽曲のシングル盤のB面曲。

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