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トスカーナ出身歌手特集!第一弾

トスカーナ特集KV

今秋のITALIANITYのテーマ「トスカーナ」に合わせて、トスカーナ出身歌手の代表曲を2回に分けてご紹介します。

トスカーナ州の位置と県トスカーナ州の位置と県

プレイリスト収録曲詳細

1. Francesco Gabbani(フランチェスコ・ガッバーニ / 1982年生まれ)サンレモ音楽祭2017優勝曲「Occidentali’s Karma(オッチデンタリズ・カルマ / 意:西洋の業)」。ルネッサンス文化を支えた大理石の一大産地カッラーラ(州の北西部)出身者。

2. フランチェスコ・ガッバーニ「Viceversa(ヴィーチェヴェルサ / 意:その一方で)」(2020)
サンレモ音楽祭2020で2位となった楽曲。

3. Irene Grandi(イレーネ・グランディ / 1969年生まれ)
Bruci la città(ブルーチ・ラ・チッタ / 意:あなたが街を燃やす)」は、フェスティヴァルバール2007年でラジオ賞を獲得したヒット曲で、同じくトスカーナ州出身のバンドBaustele(バウステッレ)のFrancesco Bianconi(フランチェスコ・ビアンコーニ)との共作曲。当時流行したネット上の仮想世界“Second Life”を使用したMVも大きな話題となりました。州都フィレンツェ生まれ。

4. イレーネ・グランディChe vita è(ケ・ヴィータ・エ / 意:なんて人生なのかしら)」(1997)
R&B調のイカしたヒット曲。

5. Andrea Bocelli(アンドレア・ボチェッリ / 1958年生まれ)
現代イタリア人歌手の中で世界一の知名度を誇る、クラシックとポップスの領域で活動するクラシック・クロスオーヴァー歌手で、この「Con te partirò(コン・テ・パルティロ / 意:あなたと共に旅立とう)」はサンレモ音楽祭1995で4位という微妙な結果で終わったものの、半年後にドイツから火が付きイタリアに逆輸入されて認知され、瞬く間に全世界で大ヒットしたボチェッリの大出世曲となりました。ラヤティコ(州の西部)出身者。

6. アンドレア・ボチェッリIl mare calmo della sera(イル・マーレ・カルモ・デッラ・セーラ / 意:夜の静かな海)」(1994)
サンレモ音楽祭1994新人部門優勝曲。作家陣のひとりは彼を発掘したZucchero(ズッケロ)。当時のボチェッリは革ジャンでステージに立っており、今日のようなテノール歌手としての打ち出しは想定されていなかったことが判ります。

7. Toto Cutugno(トト・クトゥーニョ / 1943年生まれ)
州の北西部フォズディノーヴォ出身。代表曲「Solo noi(ソロ・ノイ / 意:僕たちだけ)」はサンレモ音楽祭1980優勝曲。

8. トト・クトゥーニョInsieme: 1992(インシェーメ: ミッレノヴェチェントノヴァンタドゥエ)」(1990)
ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト1990優勝曲。史上2人目のイタリア人優勝者となりました(3人目は2021年のマネスキンまで隔たります)。

9. Riccardo Fogli(リッカルド・フォッリ / 1947年生まれ)
元I Pooh(イ・プー)のベーシストで美形&美声ヴォーカルで人気を集めていましたが1973年にソロに転向。「Storie di tutti i giorni(ストリエ・ディ・トゥッティ・イ・ジョルニ / 意:日々の物語 / 邦題:過ぎ行く日々の物語)」でサンレモ音楽祭1982優勝を果たしました。ポンテデーラ(州の北西部)出身。

トスカーナ フラッグトスカーナ州旗

10. リッカルド・フォッリChe ne sai(ケ・ネ・サイ / 意:君は何か知ってるの)」(1979)
1977年にAngelo Branduardi(アンジェロ・ブランドゥアルディ)の登場で一気にブームが巻き起こった地中海音楽ブームの仕掛け人たちによる“地中海音楽ポップス版”。

11. Don Backy(ドン・バッキー / 1939年生まれ)
1960年代に“モザイク・カンツォーネ”という異名を取った繊細で色彩豊かな曲作りでブームを巻き起こしたレジェンド的存在のシンガーソングライター。「L’immensità(リンメンシタ / 意:無限 / 邦題:涙に咲く花)」はサンレモ音楽祭1967出場曲で、今日まで歌い継がれているエヴァーグリーンな楽曲です。州北部サンタ・クローチェ・スッラルノ出身者。

12. ドン・バッキーCanzone(カンツォーネ / 意:歌)」(1968)
サンレモ音楽祭1968年3位入賞曲ですが、作者のドン・バッキーは音楽祭のルールと所属事務所の方針との板挟みとなり、自ら歌う事が叶わなかったというイワク付きの楽曲です。サンレモ音楽祭では所属事務所の長であるAdriano Celentano(アドリアーノ・チェレンターノ)と、三大プリマドンナのひとりMilva(ミルヴァ)が歌い分けました。同音楽祭で2位となった「Casa Bianca(カーザ・ビアンカ / 意:白い家)」も彼の作品で、大ヒットしたため「ドン・バッキーは歌わずに勝った」と称賛されましたが、この作品を巡って大きな抗争も巻き起こるのですが、その話はまた別の機会に。

13. Enrico Nigiotti(エンリコ・ニジョッティ / 1987年生まれ)
Nonno Hollywood(ノンノ・ハリウッド / 意:ハリウッド爺ちゃん)」はサンレモ音楽祭2019で最優秀歌詞賞を受賞した楽曲で、今は亡き祖父と過ごした懐かしい日々と故郷リヴォルノの街を描き出した美しい世界観を持った楽曲です。州西部の港町リヴォルノ出身。

14. エンリコ・ニジョッティBaciami adesso(バーチャミ・アデッソ / 意:今キスしてくれ)」
サンレモ音楽祭2020参加曲。

15. Bobo Rondelli(ボボ・ロンデッリ / 1963年生まれ)質素な渋い世界観を持つシンガーソングライター。「I vitelloni(イ・ヴィテッローニ / 意:子牛たち)」(2002)のタイトルは転じて、怠惰な生活を送る若者たちを揶揄しています。州西部の港町リヴォルノ出身。

トスカーナの風景

16. ボボ・ロンデッリLa marmellata(ラ・マルメラータ / 意:マーマレード)」(2013)

17. Baustelle(バウステッレ)
2000年頃から頭角を現したモンテプルチャーノ(州南部)出身グループの「Charlie fa surf(チャーリー・ファ・サーフ / 意:チャーリーはサーフィンをする)」(2008)。キーマンは他のアーティストにもたくさんのヒット曲を書き下ろしているメロディメーカーFrancesco Bianconi(フランチェスコ・ビアンコ-ニ / 1973年生まれ)。彼の超低音ヴォーカルに紅一点のRachele Bastreghi(ラケーレ・バストレギ / 1977年生まれ シエナ出身)の揺れるようなヴォーカルが絡み合うのが彼らの楽曲の魅力です。

18. バウステッレGli spietati(リ・スピエターティ / 意:無慈悲なヤツラ)」(2010)
1992年の同名の映画(原題「Unforgiven」/ 邦題「許されざる者」)のオマージュとして製作された楽曲。同映画はクリント・イーストウッド監督&主演で“最後の西部劇”と目される作品です。

19. Motta(モッタ / 1986年生まれ)
この5年ぐらいの間に注目を集めるようになったピサ出身の気鋭のシンガーソングライター。「E poi finisco per amarti(エ・ポイ・フィニスコ・ペル・アマルティ / 意:そして君を愛するために僕は止める)」(2021)。Pacifico(パチフィコ)との共作。

20. モッタLa nostra ultima canzone(ラ・ノストラ・ウルティマ・カンツォーネ / 僕らの最新の歌)」(2018)
同年のタルガ・テンコ賞(シンガーソングライター作品を評価する栄誉ある賞)で“史上最高ディスク賞”に輝いたアルバムからのシングルカット曲。

21. Amara(アマラ / 1984年生まれ)
2005年にタレントオーディション番組アミーチに出場し、ファイナリストに入り注目を集めます。「Credo(クレード / 意:私は信じる)」でサンレモ音楽祭2015新人部門に出場するも4位と伸び悩みますが、次第に他の歌手に楽曲を提供する作家としての才能も発揮し、ツウ好みの音楽家となっています。州北部プラ-ト出身。

22. アマラPace(パーチェ / 意:平和)」(2017)
Paolo Vallesi(パオロ・ヴァッレージ / フィレンツェ出身)との共演で発表された楽曲。

23. Erminio Sinni(エルミーニオ・シンニ / 1961年生まれ)
州南西部グロッセート出身。若い頃は作家として活動し、やがて大物Riccardo Cocciante(リッカルド・コッチャンテ)とのコラボを始め、コッチャンテとの共作曲「L’amore vero(ラモーレ・ヴェーロ / 意:真の愛)」でようやくサンレモ音楽祭1993新人部門に出場するも5位に留まり(ちなみに優勝がラウラ・パウジーニ、3位がネック…運からも見放され…)、大きな注目を浴びずに終わります。

24. エルミーニオ・シンニE tu davanti a me [E tu sopra di me](エ・トゥ・ダヴァンティ・ア・メ [エ・トゥ・ソプラ・ディ・メ] / 意:そして僕の前の君 [そして僕の上の君])」(1993)
その後も彼の作品は度々高く評価されるものの、歌手としては鳴かず飛ばずの人生でしたが、2020年暮れに行われたオーディション番組『ザ・ヴォイス・シニア』(60歳以上の歌手を対象)で優勝し、遅すぎた脚光を浴びることとなりました。

25. Dirotta Su Cuba(ディロッタ・ス・クーバ)
Liberi di, liberi da(リーベリ・ディ、リーベリ・ダ / 意:~の自由、~からの自由)」(1995)。フィレンツェ出身の男女3人組(1964年~1969年生まれ)のグループで、90年代にゴキゲンな音楽で求心力を集め、日本でも渋谷系の流れでFMラジオでもよく曲がかかっていた貴重な存在でした。

26. ディロッタ・ス・クーバGelosia(ジェロジア / 意:嫉妬)」(1994)
彼らのデビュー曲にして、そのままブレイクのきっかけとなった記念すべき楽曲です。

27. Virginiana Miller(ヴィルジニアーナ・ミッレル)
州西部の港町リヴォルノで結成された6人組オルタナ・ロック・バンドで90年代の終わりごろシーンに登場するとあまり商業主義に乗ることなくマイペースながらもコンスタントに活動を続けています。「Tutti i santi giorni(トゥッティ・イ・サンティ・ジョルニ / 意:毎日ずっと)」(2012)は同年にパオロ・ヴィルツィ監督が同名映画のサントラに採用し、翌2013年に栄誉あるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の最優秀オリジナル楽曲賞に輝きました。

28. ヴィルジニアーナ・ミッレルLettera di San Paolo agli operai(レッテラ・ディ・サン・パオロ・アッリ・オペライ / 意:作業員への聖パウロの手紙)」(2013)
翌2014年にタルガ・テンコ賞の年間最優秀楽曲賞を受賞しました。

29. The Zen Circus(ザ・ゼン・サーカス)
ピサで結成され、2000年前後にシーンに登場したパンク・ロック・バンド(4人組→現3人組)。「L’amore è una dittatura(ラモーレ・エ・ウナ・ディッタトゥーラ / 意:愛とは専制政治だ)」(2019)はサンレモ音楽祭に初出場した楽曲。

30. ザ・ゼン・サーカスViva」(2013)
チャート9位まで登るヒットとなったアルバムからの先行シングル曲です。

トスカーナ風景

31. Bandabardò(バンダバルドー)
フィレンツェで結成されたフォーク・ロック・バンド。1996年のデビューアルバムが大ヒットし、近隣諸国でも一定の成功を収めました。初期のヒット曲「Beppeanna(ベッペアンナ)」(1998)はバンド結成25周年を記念して2018年に歌詞の一部をタイトルに据えて「Se mi rilasso collasso(セ・ミ・リラッソ・コッラッソ / 意:もしぐったりしたなら)」として多くの著名アーティストたちが参加したヴァージョンがリリースされました。

32. バンダバルドーUbriaco canta amore(ウブリアコ・カンタ・アモーレ / 意:酔いどれが愛を歌う)」(1998)
2021年2月にカリスマ的存在だったバンドのヴォーカリストが60歳で病死してしまい、音楽仲間の多かったこともあって、コロナ禍の中でも追悼コラボが行われていました。

33. Ginevra di Marco(ジネーヴラ・ディ・マルコ / 1970年生まれ)
フィレンツェ出身のフォーク歌手。「La leggera(ラ・レッジェラ / 意:軽やかな女性)」(2006)は、月曜日から日曜日までひたすら “働きたくない”と言い訳する面白い歌。逃避行為の向かう先は愛しい人の元。

34. ジネーヴラ・ディ・マルコTutto cambia(トゥット・カンビア / 意:すべてが変わる)」(2017)
彼女は元々C.S.I.(チ・エッセ・イー)ことConsorzio Suonatori Indipendenti(コンソルツィオ・スオナトーリ・インディペンデンティ / 意:インディーズ演奏家組合)のメンバーとして活動していた人物で、同バンドの略称C.S.I.はソ連が崩壊した直後の「独立国家共同体」のイタリア語略称と同じで全く同時期に誕生したバンドであるので、明らかに社会主義的思想を掲げた集団でもありました。

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