MUSIC 30 Apr 2021

カンツォーネ? イタリアンポップス? イタリアンロック?
イタリア音楽の呼称の違いについて


“イタリアの音楽”に対して、特に日本人は人それぞれ異なるイメージやキーワードを持っているようです。
「イタリアの音楽の主流は絶対的にクラシック音楽やオペラでしょ!」
「音楽の授業で習った『サンタ・ルチア』みたいなナポリ民謡みたいなヤツ?」
「“カンツォーネ”って、昔流行ったイタリアの歌謡曲みたいなのでしょ?」
「イタリアンロックって、プログレの事だよね!?」
「1960年代までが“カンツォーネ”で、1970年代以降が“イタリアンポップス”って言うんだよね?」

・・・どの意見も特徴はよく捉えていますが、かなりステレオタイプな見方で、残念ながらどれもイタリア本国の感覚とはかなり大きくかけ離れています。

イタリア本国での考え方

イタリア本国で“ムジカ・イタリアーナ(イタリア音楽)”というと、イタリアという国の概念が誕生した1861年以降に生まれた音楽でありますので、それ以前の時代に誕生し、隆盛を極めたクラシック音楽やオペラなどは“イタリア音楽”の概念から外れます。 そして“イタリア―ナ”という言葉は同時に、イタリア共通語(標準語)で歌われた楽曲を指し示します。

一方、共通語以外で歌われる楽曲は、それぞれその地域の名前を付けて呼ばれます。 もっとも有名な方言の歌はナポリ語歌謡で、これらは “カンツォーネ・ナポレターナ(=ナポリ語の歌)”と呼ばれています。

他に存在するのは世界共通の音楽のジャンル分けですかね、ロック、ポップ、ジャズ、レゲエ、オルタナ、ラップなど。 もちろんイタリア音楽にもこれらのジャンルが全て存在します。

実は、日本で使われている様々なイタリア音楽を指し示す時代による呼称の分け方、“カンツォーネ”、“イタリアンポップス”、“ラヴロック”などは、和製外国語であって、イタリア本国では使われていませんし、通じません。

従いまして、イタリア語の“ムジカ・ポップ・イタリアーナ”や“カンツォーネ・イタリアーナ”という表現が最も範囲が広く、クラシック以外のジャンルを包括する呼称となりますので、イタリア人とのコミュニケーションを取る際に一番誤解なく伝わる言い方となります。

あとはこれに時代や音楽スタイルを表す言葉を付け加えれば、音楽を特定することになります。 60年代にヒットした“いわゆるカンツォーネ”ならば“カンツォーニ・イタリアーネ・ネッリ・アンニ・セッサンタ”、70年代のプログレならば、“プロッグ・ロック・イタリアーノ・ネッリ・アンニ・セッタンタ”という感じで。 ここ最近の楽曲を特定する時なら“ムジカ・ポップ・イタリアーナ・コンテンポラーネア”とか、“カンツォーニ・イタリアーネ・ネッリ・ウルティミ・アンニ”となりますね。

プレイリスト収録曲

プレイリストには、“カンツォーネ・イタリアーナ”という概念が生まれてからの重要な楽曲&アーティストの代表曲を収録しました。 全曲を違和感なく聴ける方は、かなりのイタリア音楽フリークと思っていただいて良いと思います。

以下に簡単な楽曲別の解説をまとめました。
#1. 第1回サンレモ音楽祭優勝曲。 “サンレモの女王”の異名を取ったニッラ・ピッツィの歌唱。

#2. サンレモ音楽祭1958優勝曲で全米でも1位を記録し、イタリア語歌謡を世界のヒット曲へといざなった記念すべき楽曲で、自作して歌ったドメニコ・モドゥーニョは世界に先駆けてシンガーソングライターという概念(イタリアでは “カンタウトーレ”という呼称)を宛がわれた初めてのアーティストにもなりました。

#3. イタリア音楽の革命を目指したジェノヴァ派シンガーソングライターの代表格ジーノ・パオリが書いたエヴァ―グリーンな曲。

#4. 現在もイタリア音楽界のトップに君臨するアドリアーノ・チェレンターノの最初期ヒット曲のひとつ。

#5. 弱冠16歳でサンレモ優勝を勝ち取り、一夜にして世界の歌姫となったジリオラ・チンクェッティの優勝曲。

#6. すぐに英語カヴァー曲も作られ、後にプレスリーもカヴァーして世界的ヒット曲となった楽曲。 自作して歌ったピーノ・ドナッジョは後に映画音楽家としても大成しました。

#7. 現在も国民的アイドルの存在であるジァンニ・モランディのヒット曲のひとつ。

#8. 重鎮シンガーソングライターとして活動し続けたセルジォ・エンドリゴのサンレモ音楽祭優勝曲。

#9. 70年代以降から現在まで続くシンガーソングライターブームの中心人物となるルーチォ・バッティスティのサンレモ音楽祭出場曲。

#10. プログレブームに乗って、世界中で名を知られるようになった通称PFMの代表曲のひとつ。

#11. PFMに続いて世界へ売り出しを試みたバンコ(略称BMS)の代表曲のひとつ。

#12. 70年代のシンガーソングライターブームの中でビッグな存在となっていったクラウディオ・バリォーニ。 後に“20世紀最大のラヴソング”と認定された楽曲です。

#13. イタリア音楽界の女王ミーナが俳優アルベルト・ルーポとの共演でリリースしたデュエット曲。 フランスや日本でもカヴァーされましたが、これが本家本元のオリジナル。

#14. 世界的な“カンツォーネ・ブーム”が収束した後、孤軍奮闘して活躍したマルチェラ。 シンセサイザーの台頭によりお払い箱になりかかっていたオーケストラ陣営と活動の場に飢えていたプログレ系ミュージシャンたちががっぷり四つに組んだアレンジと演奏のテクの妙も聴きどころ。

#15. オーケストラとバンドサウンドの融合スタイルでエポックメイキングを築き上げたPooh(プー)が、バンドサウンドだけで勝負を始めた最初のヒット曲。

#16. 国境を越えて大ヒットし、イタリア音楽の世界的な旗手の役割を担ったウンベルト・トッツィ。 ヒットしなかったのは先進国では日本ぐらいでした。

#17. イタリアという国境を越え、広く“地中海音楽”を標榜した音楽ムーヴメントの先鋒となったアンジェロ・ブランドゥアルディ。

#18. #10のルーチォ・バッティスティと並んでカンタウトーレブームの2台巨頭のひとりとなったファブリツィオ・デ・アンドレ。 地中海音楽の担い手として活動していたこの時期の代表曲のひとつ。

#19. 書いて歌ったアラン・ソッレンティはプログレ畑出身ですが、この曲で空前のディスコブームに突入するきっかけを作り、ディスコの帝王と認知されることになりました。 米の一流ミュージシャンたちが演奏を手掛けているのも聴きどころ。21世紀になって同名の映画も製作されました。

#20. 1980年代初頭に年間ヒットチャートの首位に何度も昇りつめるルーチォ・ダッラ。 その後も生涯を通してイタリア音楽界の重鎮の存在である続けた国民的歌手でした。 盟友フランチェスコ・デ・グレゴーリとのデュエット。 この2人のジョイントライヴコンサートが後のイタリアのライヴのお手本となったと言われています。

#21. 1980年代に最も活躍したアーティスト、の感のあるトト・クトゥーニョのサンレモ音楽祭優勝曲。

#22. 1980年代に日本のCM曲に何曲も採用され、リアルタイムに日本盤もリリースされていたマティア・バザールのテクノっぽいキーで作られたヒット曲。

#23. 70年代後半から80年代にかけてのディスコブームに乗って、ヨーロッパ中で大ヒットを博したリッキ・エ・ポーヴェリ。 世界で大ブレイクしたABBAがお手本にしていたグループでもあります。

#24. ヨーロッパ中のアイドルとなり、南米でもスターとなるエロス・ラマゾッティのサンレモ音楽祭優勝曲。

#25. イタリアンロックの帝王となるヴァスコ・ロッシのサンレモ音楽祭出場曲。

#26. イタリアの重鎮シンガーソングライターのひとりアントネッロ・ヴェンディッティの数あるヒット曲のひとつ。 21世紀になって同名の映画も製作されました。

#27. 現在も現役の実力派歌手マッシモ・ラニエリのサンレモ音楽祭優勝曲。 長らく俳優業に軸足を移していましたが、歌手復帰のきっかけとなった記念べき楽曲。 ナポリ歌謡のオーソリティでもあります。

#28. イタリアの枠に収まらないスケールの大きいブルース歌手ズッケロとU2のボーノが共作し、世界三大テノールのひとりルチァーノ・パヴァロッティを誘ってデュエットしてリリースされたエポックメイキングな楽曲。 パヴァロッティはこの後、積極的に音楽ジャンルの垣根を超えた活動を試みるようになります。 レコーディング時にパヴァロッティのパートのデモヴォーカルを務めていたのが無名時代のアンドレア・ボチェッリ。

#29. 日本ではプログレバンドとしての人気が高いニュー・トロルスが90年代にリリースしたポップス曲。 日本でも当時Jリーグの誕生と共にサッカー人気が高まり、セリエAの試合がTV放映されるようになった際、テーマ曲に採用された楽曲です。

#30. 久々にイタリアの伝統的なヴォーカルスタイルの歌姫として彗星のごとく登場したラウラ・パウジーニのサンレモ音楽祭初出場曲(新人部門優勝曲)。 ヨーロッパやスペイン語圏でも人気歌手となり、後に全米でも4度のグラミー賞に輝く実績を獲得するイタリアを代表する世界的歌姫となっています。

#31. サンレモ音楽祭で3位に留まり、イタリア人も忘れ去ろうとしていた半年後、ドイツでCM曲に抜擢されたのをきっかけに世界中で大ヒットし、アンドレア・ボチェッリ自身も世界的スターとなったきっかけとなった楽曲。 ポップス曲をクラシック発声で歌う特異なスタイルの第一人者ともなりました。

#32. イタリア語ラップの父と目されるジォヴァノッティのラップスタイルのヒット曲のひとつ。
 
#33. ソウル歌手だったジョルジアがサンレモ音楽祭で優勝を勝ち取り、イタリアで一番の歌ウマ歌姫として認められるきっかけとなった楽曲。 作者は#24のエロス・ラマゾッティ

#34. 21世紀最初のヒット曲となったエリーザのサンレモ音楽祭優勝曲。 作者は#27のズッケロ。

#35. セルジョ・カンマリエーレの初サンレモ音楽祭出場曲で、本格的なジャズ系ピアニスト&歌手としてのパフォーマンスが大きな評価を得ました。

#36. サンレモ史上初のラップ曲の優勝曲で、自作して歌ったシモーネ・クリスティッキが当時社会的話題となっていたイタリアにおける精神病院の在り方を問いた作品でした。

#37. サンレモ音楽祭2021でまさかの優勝を果たしたばかりの平均20歳のロックバンド、マネスキン。 彼らが最初に脚光を浴びた楽曲は当時10代ばかりのティーンズバンドとは思えない完成度&雰囲気の楽曲で誰もが度肝を抜かれました。

#38. 現代の人気歌姫2人、アレッサンドラ・アモローゾとエンマによる話題のデュエット曲。

#39. 日本盤も発売されたばかりのジョー・バルビエリの楽曲。 冒頭のトランペットはジャズ・ミュージシャンのファブリツィオ・ボッソ、歌い出しは34)のセルジョ・カンマリエーレ、女声スキャットはサンレモ音楽祭優勝歴を持つトスカという豪華な顔ぶれ。 コロナ禍のチャリティソングとなりました。

Buon ascolto!(ブオン・アスコルト / 意:聴いてね!)

WRITER PROFILE
よしお アントニオ

音楽ジャーナリスト。イタリア音楽専門誌『MusicaVita Italia(ムジカヴィータ イタリア)』 http://musicavitaitalia.com/ 編集人。 イタリア音楽普及促進グループPiccola RADIO-ITALIA(ピッコラ・ラディオ・イタリア) http://piccola-radio-italia.com 主宰。 毎月開催のイタリアPOPSフェスタも15年を超えている。イタリアン・ポップス出版物(CD等)の歌詞監修・対訳多数。日本の伝統も重んじる剣道家(四段)でもあり、少年剣道教室の指導役も務めている。