CULTURE

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観客動員数全欧一! Ligabue(リガブエ)

観客動員数全欧一! Ligabue(リガブエ)

ヨーロッパで一番観客動員したレコード(※単独アーティストの有料コンサートにおいて)を持つアーティストがLigabue(リガブエ)ことLuciano Ligabue(ルチァーノ・リガブエ / 現60歳)です。

Ligabue_person

2005年9月10日、レッジョ=エミリア州の飛行場Campovolo(カンポヴォーロ)を野外会場にしたデビュー15周年記念コンサートでは16万5千人もの観客を集めました。(チケットなしで来場した人々を入れると18万人に達したと言われています)

campovolo_lingabue

※実は同条件の世界記録(2017年に22万5千人集客)を持つのもイタリア人アーティストのVasco Rossi(ヴァスコ・ロッシ)ですが、彼についてはまた別の機会で。

ご周知のとおり世界は今、大規模な集客を伴うイベントが行えなくなっている情勢ということもあり、幸か不幸かこれらの記録は、当面破られることはないかもしれません。

リガブエ略歴

1960年3月13日エミリア・ロマーニャ州コッレッジョ生まれ。ファンの間ではシンプルにリガ(Liga)と呼ばれています。 30歳までは音楽だけで食べていくことができず、日雇い労働を始め、様々な仕事を転々としていたそうです。 初めてのステージが27歳の時、というかなりスロースタートなアーティスト人生でした。

Ligabue_1990デビュー当時のリガブエ

1990年、ようやく30歳にしてソロ・デビュー。 同年のフェスティヴァルバールで赤丸急上昇アーティストとして表彰されます。 その後は彼自身曰く“運よくトントン拍子で”アーティスト人生が開け、アメリカン・ロック的サウンドの中でイタリア語詞を歌うスタイルで成功し、現代のイタリアン・ロックのシンボルとなりました。 2005年には前出の通り、観客動員数ヨーロッパ記録を樹立し、名実ともにイタリアのトップスターとなりました。

Ligabue_1995

2011年に再びカンポヴォーロでの大規模野外コンサートを実施。2005年時の混乱や危険を回避するため、11万人限定にして敢行。 同コンサートは、同年暮れに3D映画としても公開されました。

Campovolo_2015-2

2013年、初めてヨーロッパ圏外を巡る本格的なワールド・ツアーを開始し、その一環で初めての日本公演が実現しました。

Ligabue_4来日公演時のひとこま

2019年の暮れ、デビュー30周年を記念し、三度目のカンポヴォーロ公演を2020年9月12日に行うと発表。 カンポヴォーロ飛行場の使われなくなったエリアに新設された10万人まで収容できる野外コンサート会場RCFアリーナでの公演となる予定でしたが、コロナ禍のため2021年に順延となりました。

しかし開催されるはずだった9月12日の翌13日、ファンへのサプライズとして、このカンポヴォーロのRCFアリーナでの無観客ライヴの映像を配信。 しかも30年の間、彼と行動を共にしたバンドメンバーをフル出演という、夢の共演を拝める内容でもありました。

2020年12月、13thアルバムとなるデビュー30周年記念アルバム『7』をリリース。 そのDX盤のタイトルが『77+7』で、新曲7曲に加え過去のシングル曲77曲を新録音して収録するという、徹底的に“7”にこだわったアルバムになっています。

Ligabue_album7

この“7”という数字はリガブエを象徴するラッキーナンバー。 その理由は、姓も名も文字数が7で、頭文字はどちらも“L”でこれを180度転回させると数字“7”となること(注:イタリアでの手書きの7はちょうどLをさかさまにしたような書き方になります)の他、自分の名前の由来となる聖ルチァーノの祝日が1月の7日。 生まれ年1960年の各数値の和も、誕生日の3月13日の和も7になることなど、生来7という数値に囲まれてきたことが理由のようです。 ちなみに元来、イタリアでは7は不吉な数値とされており、この数字を好むイタリア人は多くありません。

Liga_Inter熱愛するサッカークラブ、インテルから背番号7のユニフォームを贈られている。

リガブエの日本公演時のこぼれ話

前出のように、2013年にリガブエの初来日公演が実現しました。 世界最高レベルの観客動員記録を持つスーパースターの公演が、収容人数わずか300人の高田馬場のライヴハウスで、手の届く距離で拝めるという事態に、チケットは一瞬で完売となったのは言うまでもありません。 ファンの間ではいわばプレミアムチケット、シークレットギグのような扱いとなりました。 この異例の観客数でのリガブエのライヴという事態に、イタリア本国からも取材陣が駆け付け、イタリア国内にニュースとしても流されました。

Ligabue_p50-1最前列に陣取った筆者によるワンショット。ズームなしでこの距離!

終演後、リガブエにこのライヴに対する感想を尋ねてみると、
「(イタリアでのコンサートのような)巨大スクリーンも大掛かりな演出もショー的な要素もなく、まさに音楽があるだけ。 ステージからは観客ひとりひとりの顔が見えて、エネルギーを交換し合えた。 僕はこの距離感が好きなんだ。 アマチュア時代やデビューしたての頃を思い出させ、初心に戻れる貴重な経験になったよ。」と日本人ファン冥利に尽きる嬉しいコメントが返って来ました。

また、このワールド・ツアーは世界のあちこちに住むイタリア人のために敢行され、どの国でもイタリア人観客比率が高かったそうです。 ところが初めてのアジアでの公演となった日本で、日本人ファンがイタリア語で一緒に歌っているのをステージから見ていると、アジア人のお面をかぶったイタリア人じゃないかと、不思議な違和感を覚えたという告白も聞けました。

さらには来場した日本人観客にはイタリア語を話す人も一定数いたため、リガブエは「ひょっとして日本ではイタリア語がけっこう通じるのかも?」と思い、宿泊先のホテルのフロントでイタリア語で話しかけてみたけど、通じなかったんだ。。。とお茶目な脱線話までしてくれました。

Ligabue_p50-8

映画監督リガブエ

リガブエは音楽以外にも、映画監督、執筆家としても活動しており、これまでに映画3本、本6冊をリリースしています。

Radiofreccia_Ligabue

1998年には初めての映画監督として『ラジオフレッチャ(Radiofreccia)』を手掛け、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞、ナストロ・ダルジェント(銀のリボン)賞など、イタリア映画界の重要な賞レースを総なめにしました。 同作品は日本でも『第1回イタリア映画祭』(2001年)で上映され、その後アンコール上映も何回か行われています。

Made_intaly_Film_Ligabue

2018年、3本目の映画監督を務めた『メイド・イン・イタリー(Made in Italy)』を製作し、ナストロ・ダルジェント賞最優秀シナリオ賞を獲得。 2017年にリリースしたリガブエの同名のコンセプト・アルバムをモチーフに作られた映画で、早くも同年の『イタリア映画祭』で日本上映となり、リガブエ自身も2度目の来日を映画監督として果たし、映画上映の舞台挨拶にも姿を現しました。

Ligabue_Stampa_Film映画監督として再来日し、イタリア映画祭の舞台に登壇したリガブエ

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