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なぜイタリアはワールドカップ出場を逃したのか

今回イタリアがワールドカップ出場を逃したということで、各方面から様々な意見が出ています。またセリエAの凋落は著しいと言われ続けていますが、果たして本当にそうなのでしょうか。この疑問に対する解答が、2015年に取材したマウリツィオ・サッリ監督のインタビューにありました。当時のインタビューをご紹介します。


Анна Нэсси, CC BY-SA 3.0 GFDL, via Wikimedia Commons
マウリツィオ・サッリ監督
出典:Анна Нэсси, CC BY-SA 3.0 GFDL, via Wikimedia Commons

地方クラブに生きる

―――ここ数年の欧州カップ戦では確かに結果が残せていません。したがってセリエAの凋落は著しいと言われ続けています。しかし、果たして本当にそうなのでしょうか。少なくとも、とりわけ地方クラブと育成の現場を見続けている一人としては、そうした厳しい評価のすべてを肯定できずにいます。というよりもむしろ・・・


マウリツィオ・サッリ(以下、S):幾層にも重なるカテゴリーの頂点、すなわちトップリーグの上位クラス(クラブ)がその国のサッカー界の現状を映す鏡にして“成果”でもあるのだから、確かに、CL(チャンピオンズリーグ)をはじめとするカップ戦の意義と意味は極めて重い。そして昨今にみる我々のサッカー界に対する批評も批判も、当然のことながらすべてが誤りではない。むしろ、そうした国内外から向けられる評価は、概ね的を射ていると解釈すべきなんだろう。


だが、その一方で、質問の中で君が言わんとしたことも十分に理解できる。なんといってもこの私は、他ならぬ地方の田舎クラブこそを長く仕事場にし続けている地味な監督なのだからね(笑)。


まぁ要するに、下手な喩えで申し訳ないんだが、眩しい場所から暗い場所は見えなくとも、逆に暗い場所から眩しい場所はもちろん鮮明に見ることができる、と。つまり、華やかなスポットライトの当たる場所の裏側には、なかなか人目にはつきにくい陰の部分があるわけでね、しかし我々はそのまさに陰の部分に立ち続けているからこそ、自分たちが居る場所はもちろんのこと、もしかすると上にいる彼らや“そこだけ”を見ている人々には見えないところまた同時に見えているのではないかと・・・。時折だが、そんな風に考えることも確かにある。


Lega Nazionale Professionisti Serie A, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons
Lega Nazionale Professionisti Serie A, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons

―――そして、大変失礼ながら、それこそ地方の田舎クラブを象徴するかのようなここエンポリで、しかしそのサッカーが低いレベルに留まるかといえば決してそうは言えないはずです。確かにAに昇格したばかりの今季、監督のチームは降格圏のわずか上に位置するに留まってはいるのですが、その“守備組織”は専門家たちから最も高い評価を受けています。失点の数は3位ナポリよりも1点少ないです(第19節終了時)。また、例えば今季第11節のラツィオ戦に勝利した試合(2−1)は見事でした。


S:それだけでなく、敵地でナポリとフィオレンティーナを相手に引き分けた試合も忘れてもらっては困る(笑)。というのはもちろん冗談だが、確かなのは、今季の私たちが“これまでとは違う何か”を試そうとしているということでね。むしろ、ただ単にその異なる何かを断片的に試すのではなくて、その試みをシーズンを通して貫こうと決めてすべての試合に臨んでいる。


―――ギリギリまで高く設定した最終ラインと、それに伴って極端なまでに短い距離に保たれた3本(DF、MF、FW)のラインからなる4-3-1-2。こうした戦い方を、残留争いに身を置くチームが一貫してやるのは確かに大きなリスクを伴います。


S:したがって大半のクラブが、というよりは下位クラブのほぼすべてが、チーム全体の重心を低く設定するのが言わば常識とされ、そうしたクラブのすべてがカウンターに依拠するスタイルをとる中で、しかし我々は、あくまでも自分たちが2012年の夏(エンポリ監督就任)以来ずっとやり続けてきた戦い方を貫こうとしている。もちろん守備だけではなく攻撃においてもそう。何といっても、このエンポリのような地方の貧しいクラブは“一発で試合を決める”類の選手を持つことはできないのだからね、どうしてもAのカテゴリーでは得点力の不足は否めないんだが、ならばとにかくチーム全体として、まさに組織としての“戦術”を駆使することで打開策を見出そうじゃないかと。そのための工夫と努力を重ね続けている。


もちろん、だからこそ守備組織の精度を可能な限り高めることを、我々は第一の目標としているんだよ。その精度が高まれば高まるほど、つまり研究を重ねれば重ねるほど、攻と守が表裏一体である以上、その守備を崩すための策もまた同時に高められていくのだからね。たとえば敵のCB2枚の間に、どうすればボール一個分の隙を生じさせることができるか。たとえば、サイドから攻撃を仕掛ける過程で、どうすれば敵の守備網に綻びを生じさせることができるか。たとえば、奥行き(敵のDFラインの背後)を取るために、我々のFWとMFたちは各々がどう動くべきか・・・などなど。考え得るすべての状況を、そのひとつひとつを現場に落とし込みながら、日々のトレーニングを重ねている。そして、その種のトレーニングを行うには、何よりもまずは自分たちの守備組織が整っていなければ話にならないということだよ。


もっとも、そんな私たちの試みは見方によっては苦肉の策とも捉えられるんだろうが、個々の技術レベルで他に劣る我々のようなクラブには、それしか生き残る術がないのだからね。これからも地道に地味な作業を続けていくよ(笑)。


出典:@cfcunofficial, CC BY-SA 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0, via Wikimedia Commons

勇気を持って挑む

―――エンポリのDFライン4枚は、右からマリオ・ルイ、ロレンツォ・トネッリ、ダニエレ・ルガーニ、そしてエルセイド・ヒサイ。その平均年齢は約23歳。CB左と左SBの控えであるフェデリコ・バルバも21歳。これだけ若いメンバーで、しかも今季が5人すべてにとって初めてのセリエAという中にあって、あれだけ高いラインを保つのは容易ではないと思うのですが。


S:いや、むしろ逆だよ。彼らは若いからこそ“新しい何か”に果敢に挑もうとする。若い彼らだからこそそれができるということだね。若いがゆえの勇気もある。そして何より、さっきも言った通り、私たちには“その種のサッカー”をやる以外に他の方法がない。リスクを恐れては何もできないのだからね。


それこそ、たとえばあのカルロス・テヴェスを相手に引いて守るだけで果たして封じきれるか?おそらく答えは100に近い確率でノー。少なくともその可能性は極端なまでに低い。単純な年俸比較でも、例の我々のDF4人すべてのそれを足しても、テヴェスの4分の1にも満たないのだからね。


ならば勇気を持って挑むしかない。だからこそ守備の局面でも我々の側から仕掛けていく。敵のFWに入る縦パスは積極的に(インターセプトを)狙いに行く。(ギリギリまで高い位置に保つ最終ラインによって)狭いエリアへと敵を追い込んでいく。オフサイドトラップを仕掛けるのは当然。そしてボールを奪えば例の戦術を駆使して崩しにいく。この繰り返しだよ。愚直なまでにね。


もちろん、あれだけの高いラインを保つには、それこそ極限を超えるレベルの集中力が90分を通して求められるんだが、彼らはその義務を懸命に果たそうとしてくれている。もちろんディフェンダーたちだけじゃない。中盤と前線の選手たちも含めて全員が心を一つにして戦っている。


何度も同じことを繰り返してしまうんだが、私たちのチームには突出した個の存在がない。だからこそ、あくまでも堅い結束を武器とする組織として戦うより他に方法はないんだよ。


▲今なおエンポリで活躍するロレンツォ・トネッリ


―――システム自体も基本とする戦術の考え方も異なるとはいえ、監督の率いるエンポリとサッスオーロ、それにアタランタは、いわゆる陰の場所にいるクラブではあるのでしょうが、その信念を貫くという点では見事なまでに共通しているかに見受けられます。


S:だとすれば、きっと理由は先ほど私が述べたことに尽きるのだろう。資源には限りがあるが、それこそ、例のCBルガーニのように、経験を積むことでその実力を、つまりは資源そのものの価値を高めることができる。実戦におけるテヴェスとの1対1は、1000回を超えるトレーニングに価する。


―――資源そのものの価値を高めるという点で言えば、まさにその象徴とされるべきはサッスオーロのMFフランチェスコ・マニャネッリだと思うのですが。


S:完全に同意する。というのも、実はあのマニャネッリを私は10年ほど前にね、サンジョバンネーゼという、それこそ超のつく田舎のクラブを率いてセリエC1を戦っていた当時に配下においているんだよ。したがって、彼が今日に至るまでの間にどれだけの努力を重ねてきたを知っている。当時、2004/2005シーズンを終えた直後に、彼は私のところへ来てはこう尋ねてきた。「ミスター、今の自分には何が欠けているんでしょうか」と。その上で彼は、私の助言を真剣に聞いた上で、しかしあくまでも自らの意志でC2へ降りて行った。そして、当時20歳の彼が向かった先がC2のサッスオーロだったというわけだよ。以来10年間、守備的MFとして、彼はでき得る限りの努力を重ねることでその戦術スキルを磨いてきた。


▲フランチェスコ・マニャネッリ


―――中盤の要といえば、そのサッスオーロのマニャネッリ、エンポリにはヴァルディフィオーリ、そしてアタランタにはチガリーニという、いずれも地味ではあるが実に有益な仕事を堅実にこなす選手たちがいます。


S:そして、その君の言葉を私が引き継ぐとすればこうなる。つまり、それは冒頭にあった「セリエAの凋落は著しいと言われ続けている。しかし、果たして本当にそうなのか」という疑問に対する私なりの答えでもあるんだが「いや、決してそんなことはない」と。


もちろん一概に比較はできないし、それ自体がさして有益とも思わないんだが、それでも敢えて問えば、ではここイタリアの下位クラブにみる戦術レベルを上回る他国の下位クラブが果たしてどれだけあるのか? または、その相対的なレベルで、果たしてイタリアの下位クラブたちは他国との比較で明らかに下回っているのか? 


確かな答えをそこに見いだすのは物理的に不可能であるとしても、現場に生きる監督としての“勘”で言わせてもらえれば、さきほど述べた通り、「いや、そんなことは決してない」となるんだよ。つまり、何も各国リーグのスクデット(優勝)争いだけがサッカーではない。もちろんW杯やCLだけがサッカーでもない。上位、中位、そして下位のクラブたち。そのすべてを客観的に、しかも具に見続けてこそいわゆる“その国の技術・戦術レベル”なるものは初めてより正確に判断されるのではないか。


サッカーという競技の本質

―――とはいえ、イタリアはこれまで、いわゆる戦術大国とされ、あるいは前衛的ともされてきたわけですが、この“客観的な評価”は今後どのように変化していくのでしょうか。つまり、セリエAは全般としてその戦術を進化させているのでしょうか?またイタリアはこれからも戦術大国であり続けるのでしょうか?


S:わからない。そもそも、この私には一体なにが前衛的であるかがまるでわからないからだ。確かに数字だけを並べれば時代毎に“主流”とされたシステムはあるのだろうが、そして多くの場合で“アリゴ・サッキのミラン”による4-4-2が時代を変えたとされ、その事実をもって例の前衛的なる評価がなされるのだろうが、しかし実際には、サッキ以前にもクライフのオランダがあり、その前にはペレのブラジルがあり、さらにその前には50年代のレアルがある。つまり、こうしてざっと振り返っただけでもわかるのは、結局のところこのサッカーという競技の“本質”は何ら変わってなどいないということだと思うんだよ。もちろん、選手たちの身体能力は確かに50年前の比じゃない。わずか20年間と比べてもその差は顕著だ。したがって確かにプレーのスピードは著しく向上したとしても、その芯の部分は実のところなんら変化などしていない。アンドレア・ピルロは50年前に生きたとしても偉大なレジスタだったはずだ。


アンドレア・ピルロ(出典:Football.ua)

そして、我々はその重ねられてきた歴史の延長線上に生きているに過ぎない。イタリアはイタリア独自の手法で、スペインもドイツもフランスもそう、それぞれが信じる考え方に基づいてボールを追い続けていけばいい。その上で敢えて付け加えれば、件の前衛的か否かは、要するに、例の華やかな場所で勝つか否かでその判断は決まる。しかし、もちろんW杯やCLだけがサッカーではないと考える私は、そうした見方に必ずしも与しない、ということになる。


―――とはいえ「必要」は発明の母。資源に乏しいクラブは、監督が言われるように、「これまでとは違う何か」を常に模索する必要性に迫られるのが宿命である以上、かりに新たな戦術なるものがあるとすれば、それはやはり、ビッグクラブではないところから生まれると考えるべきなのでしょうか。


S:いや、申し訳ないんだが、答えは先ほどのそれと同じになる。サッカーの本質が変わらないということは、つまりその戦術もまた根本的なところは何ら変わらないのだからね。我々がやろうとする「これまでとは違う何か」は、あくまでもここで言う本質をベースとした上での、いわば表面的な部分に過ぎない。端的に言えば、今季のエンポリの“高いDFライン”は何も私たちが考案したものではなくて、その起源はあくまでも“サッキのミラン”にあるのだからね。


―――では、小さなクラブ=持たざる者たちがこのセリエAで残留を果たすには何が最も大切だと監督は考えるのでしょうか?


S:それこそディ・フランチェスコがサッスオーロで実践しているように、セットプレーからスローインに至るまですべての局面(シチュエーション)に徹底して“こだわり続ける”こと。その努力を続けること以外に大切なことはないのではないか。A残留を果たせなければ我々のようなクラブは瞬く間に存続の危機に瀕するのだからね。このメンバー達からなるチームにとって、より高い確率で勝ち点を取れる戦い方とは何なのか。そのことを、若い選手たちの成長を促しながら常に考える義務が私にはある。


エウゼビオ・ディ・フランチェスコ(出典:https://www.soccer.ru/

―――監督が現在のシステム(4-3-1-2)を採用している理由とは?


S:25年前、監督を始めた当初は3-5-2、その後は4-4-2、そして4-2-3-1へと変化してきたんだが、現在が4-3-1-2である理由は実に単純でね。すべての監督たちが言うように、それはあくまでも「配下に置く選手たちの特性を見極めた結果」でしかない。もっとも、ここ数年において多くのチームが採用していた4-2-3-1について、それを90分間続けるのは不可能だと私が考えているのも事実なんだが。


―――ところで、今日のサッカー界を語る上で、やはり欠かせないのは「グアルディオラのバイエルン」。彼らの“戦術”やはり最先端なのでしょうか?


S:それもまた私にはわからない。ただ、あのグアルディオラ率いるクラブが“ほぼ完璧なサッカー”を具現化してみせているのは事実なんだろう。実に素晴らしい監督でありチームだ。まさに、我々のサッカーとは次元が違う。当たり前なんだが・・・(笑)。


ジョゼップ・グアルディオラ・イ・サラ(出典:©Tsutomu Takasu

―――では最後にこの質問を。今季のエンポリはそのスタメンの平均年齢でリーグ最少(約25歳弱)であるのみならず、例のサッスオーロに次ぐ数のイタリア人選手をスタメンに並べているわけですが、これが意味するところとは?


S:難しいことは何もない。それのみがこのクラブの生きる道だからだよ。ユースで手塩にかけて育てた選手たちこそが我々にとって唯一の資源であり、財産なのだからね。可能な限り彼らに出場のチャンスを与えなければならない。


さきほど触れたDF陣たちだけでなく、他にも、とりわけ95〜97、98年生まれの中に面白い選手が出てきている。中でも現在プリマベーラでやっているFWは、このカテゴリー(U20世代)で国内ナンバー1の才能と言っていい。他にも、97年生まれのMFにも、95年生まれのFWにも突出したタレントを持つ選手がいる。


このところの財政難ゆえに大物が減り、よって衰退と言われている中で、しかしこうした状況は、むしろ国内の若手たちにより多くのチャンスを与える状況を生もうとしている。貧しければ工夫すればいい。もっとも、ここエンポリは常に豊かではないからこそ長くその工夫を続けてきたんだが。そして今、長く続けてきた工夫と努力が少しずつとはいえ実を結ぼうとしている。だからこそ、トップチームの監督である私の責任は極めて重い。


マウリツィオ・サッリ(Maurizio Sarri – Empoli監督)

(取材日=2015年1月14日@エンポリ)