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【Series】「ミラノデザインウィーク」から見る、安西洋之のデザイン考③

Hiroyuki Anzai 安西 洋之

2025.04.28

長年にわたりミラノを拠点に活動するビジネス&カルチャープランナー・安西洋之氏による連載シリーズ。世界最大級のデザインイベント「ミラノデザインウィーク」では、未来のトレンドが街全体を巻き込みながら発信されます。そして、シリーズ第3弾では都市型イベントの現場から、「文化の盗用」について考察します。

サローネが市内に進出している例。デザイン書籍を売るスタンドがスカラ座前の広場に仮設され、多くの人が書籍や雑誌を買っている (photo:Hiroyuki Anzai)

デザインの街から生まれたウィークイベント

ミラノの人は関心があろうがなかろうが、1年に一回は必ず「デザインに巻き込まれる」。有無も言わせず、である。ファッションにも年数回「巻き込まれそう」になるが、デザインほどには影響を受けない。

巻き込まれるのは、ミラノデザインウィークが街をあげての大規模イベントだからだ。今年は4月7日週の1週間だった。


郊外の見本市会場で開催されるミラノサローネ国際家具見本市、同時に市内およそ千のイベントや展示を称するフオーリサローネ、これらの2つを総称したミラノデザインウィークは市をあげての大イベントである。


もともとは家具、雑貨、照明器具といったインテリア分野のみのイベントであったが、20数年前くらいからフオーリサローネに関わる分野が家電や自動車などまで広がり、量と種類、それに動員数から「巻き込まれる」率があがったのである。今や、ミラノのデザインエコシステムの重要な要素として機能している。


普段、デザインについてあまり語らない人も、街のなかのイベントを覗くことで何かを語るようになる。もちろん、デザインに仕事で関わる人はさらに語る。今年、デザインに関わる他人の語りをどう解釈すると良いのか?を考える機会があった。友人の自宅で夕食会があり、その場でデザインに関わる人が指摘したのは、次のようなことだった。


マイケル・アナスタシアデス「Cygnet」(photo:Nicolo Panzera)

文化の盗用か?マイケル・アナスタシアデスの照明をめぐって

「ロンドンを拠点に活動するマイケル・アナスタシアデスが発表した照明をみてくれ。和紙を使っていてフレームはメタル。展示の支柱には竹だ。これは日本文化ブームにのっかった文化の盗用ではないか?」と写真を見せながら語った。

「文化の盗用」とは先進経済圏にある企業が経済的劣勢にある文化圏のモチーフをビジネス目的で利用した場合に指弾する表現だ。アフリカの民俗モチーフをヨーロッパのファッションに適用するー旧宗主国の企業が元植民地の文化遺産をお金儲けのために利用している。こうした例がひとつだ。

上記の照明だが、マテリアルをどこまで文化固有のものとみるか、という問題がある。竹にいたってはアジア圏の各地にある。しかも、日本は先進経済国だ。この程度のことで批判がでるなら、日本の多くの製品は西洋文化を盗用していると言われかねない。

1958年のブルーノ・ムナーリの作品「折り畳みできる彫刻」(photo:Hiroyuki Anzai)

実際に展示をみて確かめようと、夕食会の翌日、私は会場にでかけた。イベントはジャクリーン・ヴォドズとブルーノ・ダネーゼ財団で開催されており、入口を入ると両側にブルーノ・ムナーリの作品がある。1958年の作品「折り畳みできる彫刻」、1965年の作品「竹」、これらが2つのガラスケースに収められている。

そして、その先にいった部屋に「文化の盗用」と批判された展示があった。竹が存分に使われている。そこで、私はその場にいたスタッフにデザインの動機や背景を聞いてみた。マイケル・アナスタシアデスのロンドンのスタジオで働く女性だった。


イメージの組み合わせだった

分かったことは、今回のデザインの条件は財団がもつブルーノ・ムナーリの作品アーカイブからヒントを得ることだった。アナスタシアデスは上述の作品と凧のイメージを組み合わせ、あの照明を考案したのだった。即ち、ヨーロッパで日本文化が話題のネタになっているから日本文化を想起しやすいマテリアルでデザインする、といったアプローチとは無縁である。


だが、私は夕食会の席で息巻いていた彼を非難するのも違う、と思った。まずもって、マテリアルと日本文化の流行を紐づけようと思うのは、極めて自然な流れであるからだ。デザインコンセプトの背景を彼が深く調べなかったのも普通の行動だ。デザインジャーナリストがレビュー記事を書くのではない限り、いちいち、すべての作品のバックグラウンドを確認する必要もない。

美濃和紙が透けて放つ光が空間をやさしく包み込みます。つぼみをモチーフにしたフォルム「RAI collection」。

ミラノデザインウィークに吹き荒れる「デザインの噂」

私がこの一件で関心をもつのは、上述のようにして誤解が拡大していくのだ、との現場をみたからだ。実は、「文化の盗用」と指摘した人はミラノのデザイン分野ではそれなりに知られている。このような誤解も含め、吹き荒れるように「デザインの噂」が広がるのがミラノデザインウィークなのだ、と再認識した。その噂に疑問があれば、私のように自分で確認すればすむことだ。


あえていえば、その確認作業がしやすいーこれもミラノのデザインエコシステムの特典かもしれない。デザインに関する議論をデザイン・ディスコースと称することがあり、その議論をしやすいプラットフォームが構築されている。


ミラノデザインウィークで考える、「文化の盗用」とデザイン

最後に文化の盗用について、一般的なことを書いておきたい。

多くはファッション分野が世界を騒がしやすい。自動車などはヨーロッパ誕生のジャンルであり、世界各地に別々にオリジンがあるわけでもない。現在、各地にデザイン拠点をもって活動しているので文化の盗用はトピックにあがってこない。


一方、食分野は頻繁にそれぞれの文化圏の素材や料理法を活用するのが普通であり過ぎるため、どこかの文化圏の知恵を活用することが非難の対象になりにくい。また、ひとつの料理が世界に大量に発信させることもない。それではミラノデザインウィークの主役である家具や雑貨はどうだろうか?


ほのかで温かみのあるヨーロッパ産のマツ材を使用したランプ。JAKOBSSON LAMP collection

他の文化圏の様式やテイストをインテリアのなかに入れるのはかなり敷居が高い。機能や形状をファッションのようには採用しづらいーキモノは日本の外で流通する一例だろう。


したがって、仮に日本を想起するようなヨーロッパ発のインテリアデザインがあれば、容易に叩かれるか、逆に大きな話題になるか、どちらかだ。ただ、叩かれにくい土壌がある。スカンジナビアのデザインと日本のデザインは同じ傾向にあると見られやすく、一括りにされる可能性があるからだ。

以上のようなことを深く考えられる機会がたくさんあるのがミラノデザインウィークである。