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「イタリアの至宝」ロベルト・バッジョのプレーが美しい理由

宮崎 隆司 Takashi Miyazaki

2022.04.15

サッカー史上最高の選手は誰なのか?という話は巷間よく耳にするものだし、きっとロベルト・バッジョ(愛称ロビーバッジョ)は全世界でアンケートをとっても上位十傑に入るはず。しかし「泣かせてくれた選手ランキング」なるものがあれば、彼は間違いなく堂々1位に輝くのではないだろうか。



ファンが涙したロベルト・バッジョのプレー

1984年の冬、セリエCのグラウンドで、10年後に宿敵となるアリゴ・サッキ率いるリミニとの試合中、ビチェンツァに所属していた当時17歳のロビーバッジョは、利き足の右膝を粉々にしていた。後に負う数十回もの怪我の中で、それは最も重症だった。以来「1.5本の足でサッカーを続けてきた」と言う彼は、両方の膝を壊すたびに選手生命の危機に瀕しながら、しかしその都度、文字通り不屈の精神力で立ち上がってきた。その姿に我々ファンは一体どれだけ胸を熱くし、実際にスタジアムで涙したことだろう。


たとえば2001–02シーズンの対フィオレンティーナ戦(第32節=2002年4月21日)。日韓W杯を目指していた彼が左膝の怪我から76日ぶりに復帰した1戦だが、ゴールを決めた瞬間、ブレッシャのスタジアム(マリオ・リガモンティ)を埋めた観衆すべてが、ロビーバッジョの過酷な怪我との戦いを知るからこそ、目を潤わせていた。そのブレッシャで監督を務め、3シーズンに渡り苦楽を共にしたカルロ・マッツォーネは、「もしもロベルトが丈夫な膝を持っていれば、きっとマラドーナをも超える存在になっていただろう」と語っている。


そして、他ならぬそのブレッシャ在籍時、後述する最も美しいゴールを、あれは01年春先のこと、ロビーバッジョは、左足のインサイドで優しく決めている。


とにかく、彼の特徴はそのプレースタイルの柔らかさ、美しさ、そしてしなやかさにある。さらに言えば、02年にブレッシャの記者席で隣り合わせになったダゼーリオ・ビチーニ(90年W杯当時のイタリア代表監督)が語っていたように、その美しさの理由は「とにかく無駄がない」という部分にある。限りなくシンプルに彼はプレーする。余計なボールタッチはしない。そして美しいゴールだけでなく、息をのむようなアシストを味方選手へ華麗に送ってきた。


やや話が横道に逸れてしまうが、そのアシストのなかで筆者が最も痺れるのは、もちろんこれも余りに多過ぎてひとつを選ぶのは困難を極めるのだが、やはりセリエA2002/03シーズンの第19節、対ピアチェンツァ(2003年2月2日)でルカ・トーニに送ったアシスト(下記動画参照)。まさに爪の先にまで行き渡るまで神経を研ぎ澄ませたかのような蹴り方でボールを切るように捉え、軽くスピンを掛けることでその勢いを絶妙に殺し、タイミングと角度ともに非の打ちどころのないパスをトーニの走り込む場所へピンポイントで送っている。ボールが彼の右足から放たれた刹那、スタジアムがすっと静まり返ったことを今でも鮮明に記憶している。まさに、ロビーバッジョならではのアシストだった。


最も記憶に残るロベルト・バッジョのプレー5選

第5位 伝説のプレーオフ vs パルマ

そして、ブレッシャで選手としての円熟味を限りなく高める以前、2000年5月23日、当時インテルに所属していたロビーバッジョは、ベローナの地でパルマとCL(チャンピオンズリーグ)出場権を賭けて戦っていた。監督(マルチェロ・リッピ)との確執に明け暮れた一年の最後となる試合。負ければリッピの首が飛び、勝てばバッジョがインテルから去ると決まっていたその試合で、彼は2ゴールを決め、天敵リッピの地位を救っている。その皮肉な結末にドラマ性が強かったことも事実だが、それでもやはり、あの2ゴールに見た美しさは、そうした喧噪を忘れさせるだけの力を持っていた。特に1点目のFKは圧巻だった。彼は、GKブッフォンを一度も見ることなくゴールの右隅に決めている。ロビーバッジョの代名詞の1つでもあるFK(フリーキック)。数ある中で、このパルマ戦でのゴールを、もうひとつの名作―――2000/01シーズンの対フィオレンティーナ戦(第20節=02年2月24日、下記動画参照)―――と並んで、最も記憶に残るFKとして第5位に入れておきたい。


第4位 宝石箱のようなゴール

続いて第4位。それは今からおよそ33年前、89年9月17日にナポリで、あのディエゴ・マラドーナの目の前で決めてみせたドリブルとGKをかわしてのゴールだ。自陣内でボールを受けると、精緻な技とステップを駆使しながら流れるようにフィールドの中央を進み、最後はGKを地面に座らせ、そして軽やかに右足のインサイドでゴールに流し込んだ。それを本人は後に、「一生に一度しか決められないゴールだよ」と語っている。


第3位 対チェコスロバキア戦

第3位は、90年W杯イタリア大会の対チェコスロバキア戦(90年6月19日、ローマ)、まさに「ロベルト・バッジョ」の名を世界に轟かせたゴールだ。ジュゼッペ・ジャンニーニとのワンツーで敵陣内に入ると、柔らかい足首の動きでボールを巧みにコントロールし、あくまでもシンプルに、難解なフェイントは一度も入れずにDF2枚、そしてGKの逆をついてネットを揺らした。


第2位 誰もが感動したスーパーゴール

第2位は、それこそ“イタリア全土を感動で揺らした”とイタリア国民の誰もが言うゴール。94年W杯アメリカ大会決勝トーナメント1回戦の対ナイジェリア戦(94年7月5日、ボストン)。0–1で迎えていた終了間際、誰もがイタリアの敗退を確信していた後半の残り2分、ロベルト・ムッシのパスを右足のインサイドで捉えると、そのボールはナイジェリアDFの踵をかすめてゴール右隅に吸い込まれていった。この奇跡的な同点弾を決めた彼は、延長に入ると華麗なループパスをエリア内に入れPKを演出。それを鮮やかに決めてイタリアを準々決勝へ導いている。ちなみに、FKと並んでPKも彼の代名詞とされているが、代表戦を含むキャリア通算で122回のPKを蹴り、決めたのは108本。実に88%超の成功率を誇る。


第1位 対ユベントス戦

そして第1位は、先ほど短く触れた、00–01シーズンの第24節、対ユベントス戦(01年4月1日、トリノ)で決めたゴールだ。アンドレア・ピルロがセンターラインから放った40mのロングパスを、フィールドを縦に走りながらペナルティエリアのライン上で受けると、そのトラップ一発でGKファン・デル・サールをかわし、ここでも優しいタッチでゴールに流し込んだ―――という一連のプレーだ。何といっても注目すべきはそのトラップの技。まるで膝と足首の関節を抜いたかのような動きで落ちてくるボールの衝撃を緩和させ、ふわりと右足に乗せるとGKの右へ運んでいる。同時に、これは古巣ユベントスのリーグ優勝の望を断つゴールでもあった。


円熟味を極地まで高めようとしていた当時のロビーバッジョがジネディーヌ・ジダンやデル・ピエーロの前で魅せた、究極的なまでにシンプルな傑作である。


そんなバッジョが、もしもあのマラドーナやファンバステンと共にプレーしていれば?読者の皆さんはどんなメンバーで布陣を組むのだろうか。


超攻撃的布陣1

4-3-1-2

GK:ジャンルイジ・ブッフォン

DF:カフー、フランコ・バレージパオロ・マルディーニ、ロベルト・カルロス

MF:ジーコ、シャビ・エルナンデス、サビチェビッチ

TQ:ロベルト・バッジョ

FW:マラドーナ、ファンバステン

監督:ペップ・グアルディオラ


超攻撃的布陣2

4-3-3

GK:ノイアー

DF:ザネッティ、ティアゴ・シルバ、リオ・フェルディナンド、マルセロ

MF:ジダン、アンドレア・ピルロ、イニエスタ

FW:メッシ、イブラヒモビッチ、ロナウジーニョ

監督:エンツォ・ベアルツォット


・選手の並びはすべて「右から」。

・TQはトレクアルティスタ(トップ下)の意

・太字はイタリア人選手、監督


見て、聴いて、触れて感じる!サンマリノパビリオン

ryo

2025.05.06

大阪・関西万博の会場で、一際多くの来場者が足を止めているパビリオンがあります。それは「サンマリノパビリオン」。コンパクトながらも、独自の世界観とユニークな展示で注目を集めています。

すでに「どんな場所なんだろう?」と気になっていた方も、そうではない方も、この記事を読めばきっと訪れてみたくなるはずです。


サンマリノ共和国の国章(左側)と本万博のために特別デザインされたパビリオンのロゴ(右側)をパビリオンの入り口に表記。

学生たちが手がけた特別ロゴ

パビリオンの入口でまず目に飛び込んでくるのが、今回の万博のために特別にデザインされたロゴマーク。

photo by サンマリノパビリオン

このロゴは、サンマリノ共和国大学の学生たちによって制作されたもの。デザインには、日本の「日の丸」と、サンマリノのシンボル「三つの塔」をモチーフとして用いており、両国のつながりや友好の思いが込められています。そんな学生たちの感性が光るロゴは、パビリオンの顔として、訪れる人たちをあたたかく迎えてくれます。


3つの窪みからそれぞれの違う形の岩石を展示。

実際に触れる「ティターノ山の石」

入ってすぐ左手にある展示コーナーには、サンマリノのシンボルであるティターノ山の岩石が展示されています。未加工のものから、表面に意匠が施されたものまで3種類の岩石を並んでいます。

しかも、この3つの岩石は実際に触れることができるというから驚き。ざらりとした質感と、手のひらに伝わる温もりから、サンマリノの大地の雰囲気を感じることができます。

スタッフによると、これらはすべて手作業で加工されたとのこと。現地でしか見られない貴重な素材を、間近で感じられるまたとない機会です。


音で巡るサンマリノの風景

2つ目の展示は、ドーム型の空間に広がる音のインスタレーション。
足を踏み入れると、衛兵の行進音、市場の賑わい、小鳥のさえずりなど、サンマリノに流れる音の風景が360度から響いてきます。
目を閉じれば、まるで現地にいるような臨場感。聴覚を使って旅する、そんな体験ができるユニークな展示です。


地平線に広がる、視覚体験

3つ目の展示は、窪みの中からのぞくように設計された地平線の景色。
ティターノ山からの眺望、街の中心の風景、周囲の自然など、さまざまな視点からのサンマリノの景色を見渡せます。

視覚を通じて、サンマリノの地形や文化を感じられるのも、このパビリオンの魅力のひとつ。特に2つ目の展示で、サンマリノを音で感じた余韻に浸りながら、映像を見る。聴覚と視覚で受け取った刺激がゆるやかにつながる。そんな感覚が研ぎ澄まされていくような、不思議な体験が待っています。


世界最古の写本に記された「サンマリノ建国の物語」

最後にご紹介するのは、「ユネスコ世界記憶遺産」への登録候補にもなっている、世界最古級の貴重な写本です。この書物には、サンマリノ共和国のはじまりが記されています。


時代は3〜4世紀ごろ、ダルマチア地方(現在のクロアチア)出身の石工マリヌスが、自分の故郷を離れ、アドリア海を渡り、旅をしながら心も体も成長していく様子が描かれています。

最終的に、石工マリヌスは現在のサンマリノの地となるティターノ山にたどり着き、そこで人々とともに小さな共同体を築きました。それが、サンマリノ共和国のはじまりとされているのです。

この物語を記録した原本は、現在もイタリア・トリノ国立大学図書館で厳重に保管されています。今回万博で展示されているのは、オリジナルではありませんが、貴重な写本のひとつなのです。


サンマリノという国の精神的なルーツを物語る特別な一冊を、ぜひ会場でご覧ください。

photo by サンマリノパビリオン

普段なかなか知ることのできない国や文化に出会えるのも、万博ならではの楽しみのひとつ。
サンマリノパビリオンでは、自然や文化などを「触覚・聴覚・視覚」の3つの感覚を通じて体験することができます。

まだ訪れていない方はもちろん、すでに行ったことがある方も、ぜひもう一度足を運んでみてください。
小さな国に隠された、新しい発見がきっとあるはずです。



サンマリノパビリオン会場:セービングゾーン 海外パビリオン COMMONS-C 館


2025 年大阪・関西万博 サンマリノパビリオン公式サイトhttps://www.sanmarinoexpo.com/ja/the-pavilion-ja/


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