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【Feature】帽子、ネクタイ、傘、そしてステッキ。伝統アイテム工房に見る現代のサバイバル策とは

イタリア中部フィレンツェで毎年2回開催される紳士モード見本市「ピッティ・イマージネ・ウオモ」。前回記事「曲がり角のスニーカー、イタリアの戦略。」の後編です。

フィレンツェの老舗帽子ブランド『テージ Tesi』。2025年の春夏コレクション

世界屈指のメンズモード見本市「ピッティ・イマージネ・ウオモ」。このトレードフェアを近年取材して感じるのは、押し寄せるカジュアル化の波だ。約10年前、会場に集うファッショニスタといえば、高級スーツにタイドアップ、足元は革靴を合わせるのが鉄板だった。それは、ピッティ発足時に中心的役割を果たしたクラシコ・イタリア協会加盟社、すなわち高度かつ伝統的な製法を守るブランドのスタイルをほぼ反映したものだった。


変わって今日ではどうだ。ジャケット、ショートパンツ、Tシャツにスニーカーと、クラシコに縛られない組み合わせに身を包んだファッション・インフルエンサーたちが闊歩している。実際、帽子、ネクタイ、傘やステッキといった伝統的アイテムの市場規模は頭打ち傾向にあるといわれる。そうしたものを手掛けるメーカーが生き残るために辿ってきた道と、未来への戦略は? ピッティの常連である3つのブースを訪ね、創業家出身の人々に、自らの口で語ってもらった。


水と肥沃な大地。麦わら帽子のふるさとで

最初に訪ねたのは、ピッティの開催地でもあるフィレンツェの老舗帽子ブランド『テージ Tesi』だ。スタンドでは、創業家5代目のジャコモ氏と、6代目のディレッタ氏が対応してくれた。

創業家6代目のディレッタ氏もデザインを手がける

彼らの創業は1850年に遡る。そのルーツは旧市街から西へ約15キロのシーニャという町である。なぜこの地で?


アルノ川に近く、水と肥沃な大地に恵まれた一帯では、いにしえから食用小麦が盛んに作られていた。18世紀初頭になると、麦わら帽子作りに適した品種の小麦栽培が始まる。テージも、そうした産業の変化のなかで誕生した。創業当初は高品質のボーターハット(カンカン帽)で人気を博し、1920年代には世界的に流行していたパナマ帽で認知度を獲得した。

エクアドルのモンテクリスティ産の最高級素材を使用したパナマ帽

しかし第二次世界大戦後になると、服飾における帽子の重要性は、徐々に低下していった。そうしたなかテージは、従来以上に品質と伝統を重んじ、職人技を守ることで、付加価値を確立していった。「今も私たちは、安易に流行を追うことを望みません」とジャコモ氏は語る。


ディレッタ氏は、イタリア国内市場には限界があるため「パリをはじめとする国際見本市への出展で、ファッション感度の高い層に照準を合わせて展開しています。私たちの製品の美しさと品質を認める顧客が世界中にいます」と、その手応えを話す。

創業家5代目のジャコモ・テージ氏。テージ社は2019年にイタリア・ファッション産業連盟からクラフトマンシップ賞を授与されている

従業員は23名。帽子作りにとって重要なミシンがけを手がける人のなかには、熟練の高齢女性もいるという。リボン付けなどの装飾は、地元女性の内職に委ねる。創業から170年を超えて世界で認知された今も、地域に根ざした経営を続ける。経営者と働き手の間で構築された信頼関係が、この帽子工房の強みなのである。

組み合わせるリボンによっても異なる表情を見せてくれる

コロナ禍を経て、ネクタイが若年層にアプローチ

次に訪れたのは、南イタリア・シチリア島の高級ネクタイ工房『シルヴィオ・フィオレッロ Silvio Fiorello』のブースだ。


創業者は、ファッション業界で“ネクタイ王子”の異名をもつ、ブランドと同名の紳士である。幼少期からファッションに憧憬の念を抱いていたフィオレッロ氏だが、大学時代は社会学を専攻。卒業後はローマで公務員として日々を送っていた。転機となったのは、通勤路にあった、あるネクタイ店だった。陳列された商品の美しさに魅了された彼は、朝に夕にと眺め、毎月1本ずつ購入するようになった。

1日18時間はネクタイを締めて仕事をするというシルヴィオ・フィオレッロ氏。2018年撮影

そしてついに1986年、シチリア中部ガリアーノ・カステルフェッラートという小さな町に自身の工房を設立する。ただし、フィオレッロ氏の目的は、自身の起業だけではなかった。前述のように社会学を修め、地方都市が抱える経済の弱体化を目の当たりにしていた彼は、会社を興すことで、地域経済の活性化に貢献したいと考えたのだった。


フィオレッロ製ネクタイの特徴は、生地から縫製まですべてハンドメイドであることだ。素材や柄、剣の長さ・幅を自在に決められるオプションもある。シルクは本場中国の原料を使用。加工はイタリア随一のシルク織物産地であるコモで行っている。

遊び心あふれる色鮮やかなチーフやラペルピン

今日ではフィオレッロ氏のふたりの娘と、彼女たちの夫がサポートする。娘婿のひとり、グレゴリー・コラーコ氏は語る。「ネクタイは優美の象徴であり、洗練された装いを追求する人々に支持され続けています」


フォーマルなドレスコードにおいて、着る人のセンスを細部で表現できるネクタイには、普遍的な魅力が宿る、と断言する。「そのうえで、ひと目でフィオレッロ製だとわかることが、我々の目指すべき姿です」

こちらは、ネクタイの裏地に「トリナクリア」とよばれるシチリアのシンボルをあしらったもの

従来からシチリアの伝統的図柄を積極的に用いてきた流れを継承し、2025年春夏コレクションも、地元の陶器タイルの模様を反映させた。「生活様式の変化にともない、脱ネクタイが進んでいることは明らかです。新型コロナ禍も逆風になると思われました」とコラーコ氏。「しかし、それを契機にオンライン販売を強化しました。結果として、従来は実店舗でフィオレッロのネクタイに触れる機会がなかった人々、とくに若年層へのアプローチに成功したのです」

コラーコ氏が手にしているのがシチリア伝統の陶器タイルをモチーフにしたネクタイ。同社の顧客リストには、国家主席級のVIPも名を連ねる

ネクタイ王子・シルヴィオ・フィオレッロ氏は80歳を数えた今も現役だ。さらなる夢は、次世代の若者が技術を習得できる学校をつくることであるという。


葉巻のついでに傘を買う

最後に訪れたのは、まもなく創立70年を迎える老舗傘工房『パソッティPasotti』である。当主のニコラ・ベゴッティ氏によれば、第二次世界大戦後にミラノで傘づくりを習得した祖母が、1956年に故郷マントヴァで工房を興したのが始まりである。当時のイタリアはミラーコロ(奇跡)と呼ばれた経済成長期だった。パソッティも量産体制を導入したことで、社業は瞬く間に成長。最盛期には100人もの従業員を擁した。


ところが1970 年代後半になると状況は一転した。傘の市場は、中国から輸入される安価な製品に席巻されていった。そうした事態に、パソッティは逆転の発想で臨んだ。ニッチ市場向けの超高級傘づくりに転換したのだった。今日でも従業員は15名。生産量も年間4万本以下に抑えている。

創業家3代目のニコラ・ベゴッティ氏。「風格と気品を纏った究極の傘は一生物としてお使いいただけます」

パソッティ製傘やステッキの特徴のひとつにハンドルがある。真鍮にビジューを埋め込んだもの、シルバーや天然木を用いて動物の頭を模したもの(アニマルヘッド)など、遊び心に溢れている。


傘の生地は、フィオレッロと同じくコモからシルクを調達。職工たちが1本1本を丁寧に仕上げる。小さな工房製にもかかわらず、仕向地は欧州各国、北米、ロシアなど75の国・地域におよぶ。顧客リストには、ジェニファー・ロペスやリアーナをはじめとする著名人も名を連ねる。

ハンドルひとつひとつから作りの良さが感じられる。傘の生地は好みのものをオーダー可能だ

パソッティは成功に満足することなく、さらなる取り扱い店舗の開拓に挑んでいる。ダンディズムを地でゆく男たちが集う業種、具体的には香水店、葉巻専門店、さらには理髪店などへのアプローチだ。

こちらは躍動感あふれるアニマルをモチーフにしたヘッド

ベゴッティ氏は「私の祖母は、女性の社会進出が厳しい時代にあったにも関わらず、進取の気性をもって道を拓きました。2023年に95歳で天上の人となりましたが、彼女の精神と匠の技は、世代から世代へと確実に受け継がれています」と結んだ。

伊達男のファッションアイテムに欠かせないステッキには、真鍮、シルバー、スワロフスキーをあしらって

今回紹介したブランドからは、3つの共通点を見ることができる。


第一は、マスをターゲットとせず、ハイエンド市場に注力することで、価格競争からの脱却に成功していることだ。背景には、世界市場を照準に据えた積極的な輸出志向が見えてくる。


第二は、あえて小規模のファミリー企業であり続けていることだ。経営者たちは拡大よりも、連綿と受け継がれた職人精神や技術の継承に情熱を傾け、ときには使命感を感じている。


最後は、地元に根ざしていることである。地域雇用を重視し、熟練職人の永続的な雇用や後継者育成にも力を入れながら、それ自体をブランドのアイデンティティとして活用している。


イタリアの伝統アイテムを手がけるブランドは、頑なに古いものをつくり続けているのではない。より大きな視野と志を抱いて臨んでいるのである。