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自分で自分をとことん愛する。生まれてきてありがとう、自分。|ヤマザキマリのイタリアエッセー

生まれてきた子供をこの世の至宝のように愛でるイタリア式子育ては、子供達がその後どんな過酷な社会環境におかれても、自分の存在感や価値観を疑わないものとして育っていく大きなきっかけになっています。残念なことに昨今のイタリアではそのイタリア式家族愛防御システムが崩壊しつつあるような、痛ましい事件がいくつも発生していますが、それでも多くのイタリア人達の中には未だ“社会より家族を信じよ”という信念が滞っているはずです。


しかし、前回のエッセイでも触れたように、そんな家族的結束の中でも亀裂は入るわけで、親戚というレベルの遠い関係に関わらず、親子、または兄弟同士での決裂も実はイタリアではそう珍しいことでもありません。私をイタリアへ招聘してくれた夫の祖父であるマルコとその弟アレッシオは、マルコが亡くなるまで財産問題で亀裂の入ってしまった関係を修復できませんでしたし、マルコの息子たちの間でもやはり財産問題でその関係はとてもぎこちないものになっています。


上記したように、昨今のイタリアでも家族の愛情より社会の目線を意識する人が増えつつある為におかしな犯罪が増えているのも、やはり根底には経済の力が蠢いているからなのでしょうけど、これはもう人間という生き物が形成する社会では普遍的な現象とも言えますし、イタリアの人も長きに渡る歴史を経て学習してきているはずです。


家族すら信じられないという意識が生まれたとき、それはどんな現象に結びついていくのか。生きる過酷さや辛さから自分を救うにはどうするべきか。


学生時代にシェアしていたアパートの同居人でありカップルでもあるナポリ出身の2人が、ある日、度重なる大げんかの末、女性の方がついに堪忍袋の緒が切れて出て行く、という事件が起こりました。当時私は17歳、イタリアに暮らし始めてまだ数ヶ月で、イタリアのこともイタリア人の性質のこともよく判っていません。なのでこのカップルが毎日繰り広げる『ゴッドファーザー』のコニーとソニー紛いの、物を破壊する、叫ぶ、椅子でぶん殴るなどの大げんかを目のあたりにしながら、いつも部屋で怯えて過ごしていました。


だから彼女が出て行くと決めた時は内心ホッとしたわけですが、あれだけバカヤローと彼女を罵っていた彼氏の方が、彼女が出て行ったばかりの居間で大泣きをしはじめたのにはびっくりしました。両手を上げて、彼女の名前を呼びながら部屋をぐるぐると歩き回り、涙と鼻水を垂れ流し、そのあとソファーに伏せてそこで震え泣き、腹いせにクッションを地面に叩き付け、胸中の混乱を全身全霊で表現しているその姿はまるで歌劇場の舞台のオペラ歌手のようでした。ふと大人しくなったのでそっと様子を見に行くと、男性は赤ワインの注がれたワイングラスを右手に添えた自分の姿を、居間のタンスに付いている姿見に映して見取れているではありませんか。右向き左向きと角度を変えながら“女にフラれたばかりの悲愴なオレ”の絵面にすっかり心を奪われているかのようでした。

自分で自分をとことん愛する。生まれてきてありがとう、自分。|ヤマザキマリのイタリアエッセー

私は思いました。「自分で自分をこれだけ愛せたら怖いもの無しだな…」と。どんな状況下においても自分を恥ずかしいものとは捉えず、自分を癒し、自分を肯定する姿勢。確かにこのナポリ男性は大袈裟な例です。地域性もあるので、イタリア人であれば誰も彼もがこんなリアクションをするわけではありません。でもやはり生まれた瞬間から「宝」「星」などと形容され、「生まれてありがとう」と親からとことん愛でられて育てば、誰だって「そうか、自分って生まれて万歳だったんだな…」と思うに至っても、それは至極自然の成り行きとも言えるでしょう。


自分で自分を支えられれば、恋愛の質も変わります。勿論好きになった相手はなにもかも捧げる勢いで愛するけど、先述のカップルのように悲しい顛末を迎えてしまっても、そこには辛い自分を慰めてくれる頼もしい自分がいる。イタリアの人々の恋愛心理構造の中には、どこかそんな頑強なクールさがあるように感じさせられることがありますが、そう考えるとやはり親が生まれてきた子供を無条件に宝物扱いする、というのは、実は人間としての精神的強さを形成する上でとても大事なこととも言えるでしょう。


人間が社会に出ればそこで散々な目にあうのは誰もが判っています。自らを俯瞰で見ることも人間には欠落してはならない要素ですが、たとえ周りからどう批判されても、大きな失敗をしてしまっても、授かった人生を根底から有り難いと思えるかどうかは自分に対する愛情次第、という気がしないでもありません。


【初出:この記事は2018年1月16日、初公開されました@AGARU ITALIA】

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